「召される」ってクリスチャン用語なの?
『私の祖母は1年前に召されました』
という文章に違和感を覚えた。
『召される』って一般的に使われる言葉なんだっけ??
物心ついた時から教会で育った私は一般常識に欠けているところがあると思う。
というか、クリスチャンホームで育った人はいわゆる社会の一般常識を知らない人が多いと思う。
たとえば、参拝では手水というものがあるということや何回か礼をするとかそういうのを聞いたことがあるものの正式なところはいまだによくわからないし、葬儀における常識(香典とか焼香とかそういうの)もよく知らない。
さて冒頭に戻るが、「召される」という言葉は一般的に使われる言葉なのだろうか?
それがクリスチャン用語かどうかすらもわからないくらいには私はクリスチャンホーム育ちなのだ。
私は一応文学部だったので日本語には多少詳しいはずだが、なんとなく「召される」の使用方法は人が死ぬ時に使われる言葉ではない気がする。
そう、あくまでも「気がする」…
『私の祖母は1年前に他界しました』
『私の祖母は1年前に逝去しました』
『私の祖母は1年前に亡くなりました』
うん、しっくり。というか、字面として自然な感じがするというか見慣れた感じがするというか。
数年前に人が亡くなったことを報告するためにSNSに書いたことがあるのだが、そのとき非常に書き方を迷った。
その人はクリスチャンだったが、私のSNSを見ている人の中にはクリスチャンではない人もたくさんいる。
クリスチャン的には「召されました」がもっとも適切な表現なのだが、この時私はそう書いてから一度その文章を消した。
召されました…って
そういえばクリスチャン以外から聞いたことないかも…と思ったからだ。
その結果、「天に帰りました」と書いたのだが今思うとこれも変な気がする。
一般的にはむしろ「帰らぬ人となりました」の方が使われがちな表現なのではないだろうか。
「天国に旅立ちました」みたいな感じだとよかったのだろうか。いや…逆にすごく俗っぽい気がしていやだ。
夫にも話してみたら、
「『クリスチャンなんだな』『亡くなったんだな』ってダブルで理解できるから、召されましたでもいいと思うよ。」と言った。
なるほどその観点はなかった。
「ちなみに『土にかえる』」も聖書的だと思うよ。」
た、たしかに…
昔から親には「生き物は塵からつくられたから塵に帰るんだ」と言われ、だから育てたカブトムシとかヤドカリが死んだら土に埋めてきたし、そりゃそうだと思ってきたわけだけど…
え、クリスチャンじゃない人ってどう思って生き物を土に埋めているのかしら…
バクテリアが分解するとかなんとか言うんだろうか…いやまあそれも正しいけど…。