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市の職員との懇親会(本音を書きました)

市の職員(部長、課長級)との懇親会があった。そこで感じたことを書きたい。

私は純粋に「安城市を良くしたい」と思っている。そしてこれまでも、記者としてさまざまな行政マンと話をしてきた経験がある。議員になる前に出会ってきた地方自治の当事者とは、気の合う人が多かった。街の未来について具体的に語り合えた。そしてその度に、「行政ってかっこいいな。街の人のことを真剣に見てるな」と思って感動した。そしてそんな街は必ず、若い人にも活気があって、市役所と若者が乖離していなかった。

だからこそ正直に、安城市に対して思ってしまった。
「なんか心通じないな」。。。

私は何度も尋ねた。「私を育ててほしい。だからこそ、この課の特色を教えてください。安城独自の取り組みを教えてください。問題点があるならそれを教えてほしい、そして市民のために課題をどう解決できるか一緒に考えたいです」
その言葉は、いとも簡単に交わされて流されていくのが分かった。虚しかった。響かないな、そう思った。
どこを見て仕事をしてるの?あなたにとっての達成感は上からの評価や出世で、市民からの感謝じゃないよね?その生き方って面白い?なんだか、上から指示されたこと以外に視野を広げることを「面倒なこと」だと勘違いしてません?!

心を使って仕事をしてる人と、使わなくなった人の差が激しくないですか?
正直言って古いしダサいですよ、そのやり方。

どこの業界もそうですが、
「使ってください」という言葉が蔓延してると思う。つまり、「自分の立場を使ってください」という意味の言葉で。。そういう言葉のセンスもダサいというか。。「共に取り組みましょう」の方が、同じ意味でも清々しくて前向きで明るいのに、その言葉を使う人になかなか出会わない。

もちろん、全てがダサい人じゃない。
「この人輝いてるな」と思える部長課長もいた。
輝いている人と呼応していけばいいだけのことなんだろう、きっと。
ただ、自分の担当してる部や課のことを語ることを、なんでそんな拒んだり軽く流したりするの?私には理解できない。。、

記者時代に、時々仲間と熱く語り合ってきた。
「人々が豊かであるための社会ってどんな社会か」
記者って、世間のイメージと違ってとても前向きだし建設的だと伝えたい。それは、誰かの顔色なんて伺ってないから。自分を誤魔化す必要なんてないし、誰かを牽制する必要もないから。
議員同士で、なぜか牽制してくる人にも出会いました。
本当、意味ないよ、その牽制。今度牽制してきたら、あまりに町にとっては無意味だと思うので、その人の名前書いてもいいくらい、ここに。

いい加減、熱く生きようよ。
子供の頃、人の顔色を見るのを覚えてしまう前の、そんなピュアさで行政に取り組んでいいんですよ。

              野場はなよ

追記
「名前のとおり蝶よ花よと育てられてそんな由来かもしれないけどさぁ」と突然言ってきた方がいらっしゃったので、「私の名前はそんな可愛い意味ではなくて、華やかな世界観を持った人になりますように、という名前です」と謙遜を込めて訂正差し上げたつもりが、隣にいた別の課長が「自分でハードル上げちゃったよ(笑)」と嫌な笑顔浮かべて耳打ちしてるのが普通に聞こえました。「え!失礼ですよそれは流石に」とすかさず突っ込みましたが。
この無礼が続くようであれば、市民のためにも課を公表させていただきます🌻

私は市民目線の役人と、必ず繋がり続けて街を輝かせていきます‼️


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