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日本二十六聖人殉教地で思う、安心・安寧とは。

長崎県長崎市の中心地に、この場所はあります。
時は1597年2月5日、豊臣秀吉の命令によってカトリック信仰の布教活動をしていた26人が磔(はりつけ)の刑にあいました。26人の中には13歳の子供も含まれ、計3人の子供も命を落としました。

現代においては宗教の自由もあり、多文化共生という言葉も政治や生活の場できかれるようになった時代を生きている私にとっては、自身は仏教徒でありながらもとても痛ましく思う歴史の一つであります。

そんな殉教地(宗教のために命を落とした場所)を、2週間前に長崎を視察した際、仕事終わりの日暮れあとに1人で訪れてきました。

26人もの方々が処刑された土地なので、夜に訪れるか非常に迷いましたが、明朝8時に出発が決まっていたため、覚悟を決めて祈りに訪れました。

二十六聖人の銅像に隣接して教会があります。
ふたつの塔のデザインはサグラダファミリアの塔と似ていて、
平和の象徴の鳩や植物のモチーフが見られました🕊

1人で丘を登り終えたまではいいのですが、階段を登って広場にたどり着く勇気が持てず、長崎で布教活動をしているアメリカ人の友人に電話をかけました。

「久しぶりです。
実は二十六聖人の殉教地に、こんな遅くに訪れているんです。でも、とても神聖な場所で、あと一歩の階段を登る勇気がもてなくて電話しました」

そう告げると、アメリカ人の彼女は、
「それはとても大切な場所を訪れているのですね。
彼らは処刑されたけど、怖がっていなかったと聞いていますよ」

「え?そうなんですか?!
 お子さんもいたのに、親御さんのことを思うと痛ましいです」

「彼らは神と共にありました。
 誰も憎まない、誰も責めない、肉体は滅びようとも、神の元に行くだけ。心は常に穏やかだったと聞いています。究極の安心安寧の境地です。」

勇気を出して階段を登りました。
そこには彼女のいう通り、どこかとても安心する空気が広がっていました。430年前に、とても痛ましいことが起こった地であるが、26人の布教者にとっては「何をも恐れない、究極の安心の心境」が心の奥底にあって、死後も誰をも憎んでいない空気を、勝手に感じた気がしました。

私は祈りを捧げ。
空気の中に佇み、何かを感じ取ろうとしました。
気がつけば一時間もその空気と対話しました。

『許す、受け入れる。
 誰かにとって、あなたが、
 ほっとできる人であれますように。
 目の前に対立がある時も、
 貧しさや苦しさがある時も、
 優しさを与えられる愛を持っていることを、
 忘れることがないように。
 あなたにひどく言う人が目の前に訪れた時、
 その人さえも抱擁できる人間性が育ちますように。
 そのためにも、
 あなたにはあなたを愛す愛が、
 あなたのそばに必ずあることを
 知る日が来ますように。』

なかなか、難しい。
でもいつか、この境地に立ちたい。
全てを許し、抱擁できる人間力。
そのために、私に向けられる愛があると気がつけるゆとりを持っていたい。そのために、自分の信念に従って、私は発言したい。
そこにどんな風が、吹こうとも。

皆さまが皆さまらしくあれますように🕊

野場はなよ💐

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