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整体の限界から特殊美術系オリジナル手技へ (小説『ザ・民間療法』040 立志編)

「ZZZZZ・・・」

 整体の仕事を出張専門で開業した私は、紹介のおかげで予約がたくさん入るようになった。これなら仕事としてつづけられそうで、まずは一安心である。ところが整体と銘打っている以上、整体を提供しなくてはならない。これが予想以上につらかった。

「整体師は白衣を着たドカタだ」と自嘲気味にいう人もいたが、実際にやってみると、予想以上に体力が必要だった。まして出張専門なのだから、店舗で座ってお客さんを待つ間に休憩するようなわけにもいかない。施術が終わったら、すぐに次の場所へ移動しなくてはならないのだ。

東京近郊限定とはいえ、今は車などもっていない私は、もっぱら電車やバスを乗り継いで移動する。これは上り下りする階段の数だけでも相当なものだった。予約がたくさん入るのはありがたいが、インド帰りで栄養失調から回復しきっていない私には、1日に何人も施術できるものではなかった。

施術中にエネルギーが切れて、絶望的に眠くなることも多かった。ほめられた話ではないが、そんなときは例の気功の技で眠ってもらう。相手がいびきをかき始めた瞬間を見計らって、私もちょっとだけ寝ることで、その場をしのいだ。

この短時間で熟睡するテクニックは、特殊美術の仕事のころに会得したものである。単なる美術作品の制作とちがって、テレビ局相手の仕事ではどうしても徹夜がつづく。車の運転中に、はげしい眠気に襲われることもたびたびあった。

そういうときは、信号が赤になったら、すかさずハンドルに突っ伏して寝てしまう。信号が青になると、後ろの車が必ずクラクションを鳴らして起こしてくれる。それを合図にパッと起きて、また次の赤信号まで車を走らせるのだ。こうやって一瞬でも熟睡できれば、かなり寝た気がするものだった。もちろんこんなことはおすすめできない。

さすがにあのころほど眠くはないが、整体をつづけることには、体力的な限界があるのを自覚するようになった。そこで私の施術は、以前使っていた、軽い力で背骨のズレをもどす技へとシフトし始めた。

体力的な問題だけではない。人から教わったことを繰り返すより、オリジナルな技を作り上げたい気持ちもあった。オリジナルに向かうのは、美術家の性癖かもしれない。だがこのやり方のほうが、具体的な症状がある人には有効なようだった。そうなると、施術のおもしろみもちがってくる。

私の習った整体では、技の組み立てがルーティンで、だれに対しても同じ施術になる。それでは特定の症状に積極的にアプローチできないし、時間も同じだけかかってしまうのだ。

最小の力で、短時間でおさまる最も効率のよい方法を見つけたい。そんな療法が開発できれば、ひょっとして新しい治療体系、ひいては全く新しい医学体系までできるかもしれない。

これはあながち無謀な夢物語でもない。以前、特殊美術の仕事のころ、テレビ局でスタッフの腰痛を劇的に治せたのだから、あれが再現できればいいのではないか。あのやり方は、私にとっては美術の延長だった。

たとえば特殊美術では、キティちゃんのような平面のイラストをもとにして、立体のキャラクターを作ることがある。その際、まずは中心線に沿って左右対称な形を作らなくてはならない。

平面から立体を作るとなると、補わなくてはいけない情報が多すぎて、相当な難題なのである。試行錯誤の結果、やっとできあがった立体物も、それがちゃんと左右対称になっているかは、目で見ただけではわからない。必ず両手で触って確かめる。そうすることで、かなりの精度で仕上げられるのだ。

この技術をそのまま人の体に応用すれば、体の中心軸となる背骨がまっすぐでないところや、骨の位置の左右のちがいがはっきりとわかる。症状があるところは、体の形がいびつになっているようなので、左右のちがいさえ確認できれば、あとはゆっくりと、背骨をまっすぐにしたり、骨を左右対称な位置にもどせばいいだけだ。

この作業なら、ルーティンな整体の技とちがって、ほぼ指先だけしか使わない。だから体力を消耗しないですむ。体力が乏しい私向きだし、年をとってもつづけられるだろう。そして何よりも大切なことだが、このやり方だと、患者さんからもたいへん好評なのだった。(つづく)


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