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4/6 写真作家として生きる

こんばんは。家がさむすぎてメイクもzoomもお昼ご飯も外でやってます、こちら石川県加賀市大土村

今日、大土村はしだれ桜が満開。

SNS時代、いかにきれいな桜を見るか、競争するように見に行くね。より満開でより多いほどいい。その感覚は少なからず私にもあって、3月は京都や三重でたくさん桜を見に行ったんだあ。満開の桜並木は、確かに素晴らしくて圧倒される。私たちは無意識に、桜に「過剰感」を求めているんだね。もっと、もっと咲いてほしい、増えてほしい、「もっともっと」ってね。

そんな中、この村にきて六日、私はたった二本の桜をずっと見守っている。来たときはまだつぼみだったしだれ桜が、毎日少しずつ咲いて今日は満開。満開だったソメイヨシノは今葉桜。明日からは散っていくのかな。

こうして、ずっと少なく細い木だけを見ていると、満足感ないものかなと思ってた。けどね、これは想像以上によい。

「桜」というものの存在感がいつもと違う。春らしい象徴なのは確かなのだけど、あくまで自然の一部というか。この村の主役は人間でなく自然だと思う。だから村ごと季節が毎日ゆっくり変わる感覚が、身体で分かる。そのひとつに桜があって、少ない分愛着をもって眺めて、毎日朝昼晩気にかける。桜だけじゃない。白い椿も、シャクナゲも、シャガも、虫たちも、みんな家族でそこに自分も入っていて一緒にお互いを大切にしている。

いかんいかん、ファンタジー化癖が出てしまった。ひかないでね。

「過剰感」の真逆、少ないという魅力。今日はそんなことを考えた。

のは朝一番の話で、そっからテレビの取材を受けたり写真作家さんのところへ行ったり盛りだくさんでもう今現在、眠すぎて日記終わりたい、笑

今回、私が大土村に滞在している主な理由は、近くの写真作家さんのところに修行に行くことなのです。山から雁皮を取ってきてそれを和紙にしてそこに写真を投影するって言う半端でないアーティストさんなのだけど、その丁寧で手間のかかる工程に写真家、でなく写真作家、という感覚がびびっときて、これは行かねば、と。直談判して行かせてもらうことが出来た。

どこまで書いていいか分からないので感じたことだけ。

私も、自分の作品を目に見える形にしたい。これまでは撮ってもSNSに投稿するか、依頼をうけてもデータベースの納品しかしてこなかった。全く同じ手法じゃなくてもいい。いろんな投影方法があることを学んだので色々試して自分のものにできる方法を見つけたい。そのためにもっと写真の基礎を勉強したい。ってことでみかさん(その写真作家さんね)から本借りてきた。大土にいるあいだに読み込んだるぞ。

それと、やっぱり英語が出来るようになりたい。海外に住んで留学、制作、展示、何をするにしても英語力がほしい。この一年はできるかぎり英語に触れていこう。嫌い意識なくさなくちゃだ。コロナあけた瞬間ロンドン行けるようにね。

みかさんの話はとにかく通ずるものを感じて、純粋に嬉しかったんだ。やっぱり目指したいのは写真家ではない。写真作家なんだ。一番、一番狭き道。でも稼ぎ口はそこだけでなくてもよい。アート作品以外の写真も撮りたいからね(ポートレイトと旅風景写真に関しては)。でも、それらすべてを含めて写真で食べていけるところまで行く。本気でやり続けるしかできない。

毎日覚悟して、わくわくするのに夜になると不安になって辛くなってなにやってんだ?ってなる。まっしぐらになれてない証拠なのかなあ。やっぱり次の行き先やお金を稼ぐ方法に気をとられがちで。どしたらいいのかなあ。おんなじ境遇の人、いたら教えて(いないよな)。

んんん、ねむたい。

関係ないけど最近はワークキャンプ生がいないので毎日のぼさんと二人でご飯食べてる。料理人やました、意外と好評よ。これからも精進します、だからみなさん泊めてくださいな。

最後は今日できた写真の様子で。

いいお天気の日にしか出来ない作業。天気と会話してつくる、農業と同じだね。明日もみんなにとって良き日でありますように。おやすみ。


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