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帰ってきてねとたくさん言いたい
またね!とお別れする瞬間は寂しい。明日会う予定の人でも、数時間後に帰ってくる旦那さんでも、次はいつかわからない友達でも。背中を見つめながら(あるいは見つめられながら)本当にまた会える人がどのくらいいるか考えると恐ろしくなるので、大丈夫、また必ず会えるぞと自分を慰める。そんな瞬間ばかり繰り返している。
数年前は見送るより見送られる方がずっと多かった。帰省した時の家族、お付き合いをしていた人、旅先の人、いろんな人に背中を見つめてもらいながら何度も振り返りながら、時に泣きながら、前に進んでいったものだ。今は見送る方がずっと多い。平均二日に一回くらい誰かを駅で見送っているし昔より旦那さんの外での仕事も増えた。勇気を出してはじめて会いに来てくれた背中、予想以上に長く一緒にいた背中、振り返ることのない強い背中、ばたばたと走って出ていく見慣れた背中、彼らの大きな荷物やもこもこのジャンパーを見つめながら、じっと寂しい気持ちを手もとに抱えて、大切にしまう。ずいぶんと迎える側の顔をするようになった自分が面白い。
私が旅をしていた頃、(今でもそうだけど)一番嬉しかったことばは、「帰ってきてね」だった。一緒に少しでも生活を共にしたその土地の人がくれる言葉。心底いやな奴には言わないんじゃないかと思う。だからうちにきてくれて、帰っていく人には何度も言う。直接でもメッセージでもなんどでも。無論全員に機械的に言っているわけではないが、精査するわけでもない。ほどよく関係を築けたな、くらいでも言う。帰ってきてほしいもの。なんどだって会いたい。また新しい人にも会えて、この人とこの人?とびっくりするような二人が繋がって、また帰ってきたら会えて、、それがこのうちのよさでしょう。きっと。
特別な言葉だ。場所がないと生まれない言葉。馳せるのに十分、頑張る理由に十二分。私が帰りたい場所は会いたい人がいる場所がほとんどだ。私も、私たちみえのおうちも、誰かにとってそうなれたら嬉しい。
当たり前のように思ってきて、話してきて、書くことはしなかったけれど、もうあと半年もいないと思うと妙に感傷的になって書いてしまった。はず。あと少し、日本のシェアハウス堪能しますか。