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空が綺麗だとあの人のことを思い出す。

寂しそうに笑ってそう言うとなりで同じ空を眺めた夏の終わりから、空をまともに眺められなくなった。綺麗だと思えないような、思っても同じように思い出したり、思い出さないといけないような気がしたりしている。

三年前の今頃私たちが出逢い結ばれた頃、毎日焦がれるように見た秋空は、同じように映っていたのだと思う。同じ何かに思いを馳せ、涙したのだと思う。今日の夕焼けが綺麗だとか、遠くあなたのいる町の空に思いを馳せているとか、中高生のポエムみたいで少し照れくさいようなことを、恥ずかしげもなくよく語った。言葉にせずとも空はそういう意味で特別な存在だった。三年前のあの頃、二年前別々の土地で見上げた秋空、去年ヨーロッパで見た空。今年からもう、同じ意味で空を見上げられることはないかもしれない。

そんなことはないというだろう。そんなことがないように合わせてくれるかもしれない。でも我慢や無理はいらないのだ。空の意味もどこかへ行ってみて思うことも喧嘩の最後に出てくる言葉も、死にたい理由も生きたい理由も変わるのだ。起きてしまったどうしようもないことだ。彼がずっと寂しいのと全く別の意味で私もずっと勝手に寂しいのだろう。私は我がままなのだ。

お風呂をあがってひとりで二階へあがると、ベランダへの扉越しに美しい夕焼けが見える。いつも迷いなく外へ出て眺めたであろうそのお気に入りの景色をいつからか遠ざけている。

海がやってきて、扉を開けろと言った。彼は最近おそとムーブなのだ。

扉をあけて久しぶりにひとり、夕焼けを見る。まっすぐのびる道と、奥の山にたつ電波塔と、それを中心にひろがる水彩画のようなタッチの雲。人にもカメラにも作り出せない色。綺麗だ。その次の感情を、探している。


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