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結婚式「まんなかの日」より.

夕暮れの風が冷たくなったのはいつからだろうか。
空が高くなったのは いつからだろうか。
時間が、あっという間に過ぎていく。

一世一代の結婚式を終えて、今日で五日だ。そろそろこうして、残しておかねば、今の一部に溶けていってしまう気がしてパソコンを開いている。

長くなりそうなので読みたいところだけどうぞ
まんなかの日、と最後に、という見出しのとこだけでもいいくらいです

五日経って いま


誕生日のように、だれかにとって特別な日は、ほとんどの人にとって普通の日であり、次の日には当の本人にも普通の日が襲ってくる。その日がどんなに素敵であろうが、終わってしまったら搬出した荷物に囲まれてもぬけの殻になる自分を想像していた。しかし実際、そんなことはない。ここまで培ってきたチームが解散する寂しさはある。たった一日で、飛ぶように過ぎたその展示たちや晴れ姿は、本当にあったのか不思議なくらいだ。でも本当だった。たくさんの人が贈ってくれることばや、写真や物たちが教えてくれる。私はあの日に、そして今日まで続く周りの人たちからの支えや応援や祝福に、思っていた何倍も勇気と元気をもらった(アンパンマンみたい笑)。終わって凹むのではなく、しっかりと前を向いて、歩きだしている。

けずる まなぶ またつくる

私にとって、結婚式は、心から「まんなかの日」を目指したものだった。
つくるもの、飾るもの、身に着けるもの、呼ぶゲスト、すべてその一言につきていた。人生で一番、ひとつのものにむけて無我夢中で準備し、時には仕事を減らし、細部まで妥協を許すことなく考え続けた時間だった。時に身を削って、時に暮らしの中で新しく発見しては二転三転して、作った。でもどれほど頑張って準備したかは関係ない。当日、私たちがなにを想って、ゲストが何を受け取って帰ってくれたか、それだけが私たちの人間性と、制作の方向性を確かめる手段なのだ。なぜかストイックにそう思って作ってきた。
最後の10日ほどは、自分とかずと、家族とゲスト、全員の健康と安全ばかりを祈っていた。

まんなかの日


結婚式から今日まで、おめでとうより、ありがとうをもらっている。
「なぜかおめでとうより、ありがとうと言いたくなるん日だったんだよ」と、そっくりそのままこの言葉を、何人もかけてくれた。

私の祖父母が前に立っていると友達が泣いていた。一部のお見送りで、全然ちがうコミュニティからきてくれた子たちが一緒に写真を撮っていた。二部のライブで、私の高校の友達とLES WORLDの旅人たちが肩を組んで歌っていた。家族も幼馴染も似顔絵やアクセサリーを握りしめて帰っていた。当日私を一番泣かせたのは、こんな景色だった気がする。ああこれが見たかったのだなと思った。

どれだけ最近会えていない人も家族のように家にいる人も、等しく大切な人は大切なままだ。ほんとうなのだ。信じてほしい。社会人でも学生でもいい、子どもでも老人でもギャルでも旅人でもいい、田舎者でも都会育ちでもいい、フリーターでもニートでもいいから。あなたがこうして生きていてくれたから出会えた。そしてまた、この日元気で、この場に来てくれたから、また出会えた。わたしとあなただけではない。あなたとあなたも、あなたとこんな世界も、私とこんな景色も、出会えた。それでいいじゃないか。それが私の、正しいだと思う。だれかやなにかを否定せずとも、この日のように乾杯して、食卓を囲んで、溶け合ってひとつになれる。だれが自分をどうおもうか気にしなくても、もっているものを褒め合って交換できる。あなたとわたしのかかわり方、私と世界のかかわり方、すべてがまんなかへいくことができる。それが、一番、言いたかったんだと思う。

あの日みた景色 つくったものたち

今出せるものはすべて出したように思う。ことば、ことばにならぬもの、どちらもボリュームのある作品にして展示をした。廊下からチャペルまで、無理をいって大改造して。暮らしのあれこれをちりばめられたチャペルに、分厚い詩篇論考。ゲストは、幼馴染から二度目ましてや初めましてまでばらばらだった。冒頭、配達員役の衣装を着たみえのおうちスタッフチームがゲスト全員にレターを配る。腕がとれるくらい思いを込めて毎日書いたものだ。一斉に入場前に読んでもらった。

秋風の吹くバージンロードを歩いた。よく泣いている友達のくずれた顔ばかりが迎えてくれた。誓いの言葉、フランス製ビンテージレースのグローブをそばに、指輪が通っていく。あっという間に乾杯していた。

写真をラベルにしたワインボトルのフラワービュッフェでゲストが花を活けると会場が完成する。一部は家族全員にスポットライトのあたる披露宴を、映像は友人と一緒に撮影した手作りコンセプトムービーを。友人スピーチは私たちだけでなくゲストにまで「ことば」の力を届けてくれるふたりに。もちろんプロフィールブックもメニュー表も席札も手作りした。

二部は中世ヨーロッパをイメージした衣装でナイトマルシェをした。アクセサリー、似顔絵、大好きな村のお米で大好きな友達がにぎるおにぎり、ななこのお菓子。シアターにライブ、ちゃっかりブーケトス。マルシェは終始大盛況で完売していた。誇れる仲間たちの自慢の場だった。

誇らしいクリエイターたち

プランナーのまいさんや司会者やすこさんは数えきれないほどの打ち合わせをして我が家まできて食卓を囲んだ。カメラマンさんたちには過去作品やまんなかの日の資料をPDFで送って読み込んでもらった。前日から来てくれた映像の永田さん、二部まで頼まずとも残ってくれた泰斗さん。スタジオラインさんは挙式や二部で空気に合わせた生演奏を私たちと同じ目線に立って奏でてくれた。BGMは好きな曲が多すぎて決まらないのにもっと好きな曲を増やしておすすめしてくれる久野さんとよなよな打ち合わせた。料理は一部はコース、二部はヨーロッパ調に合わせたビュッフェにしてくれた。プロポーズの花束に合わせてブーケや会場装花を作ってくれた野々山さん。こんなめちゃくちゃな結婚式を私たちを引っ張るくらいの勢いで一緒につくってくださったナンザンハウスのみなさま。

プロのスタッフさんたちのお金以上の仕事ぶりには頭があがらない。
クリエイターとして刺激ばかりをもらう日々だった。そして確実に、私たちはお客さんとスタッフではなく、まんなかの日を作り上げたチームだった。かっこいいひとたちと一仕事終えた気分である。

これからのこと


これからのことを書くと長い。結婚式の次の日は、うちに日ごろから最も入り浸り、搬入から搬出まで手伝ってくれた仲間たちとの夜だったのだが、これも書くと長すぎる。よってまたの機会に回す。

ひとまず、私はある決心をした。来てくれた全員に背中を押されて、もっと頑張れる気がしたのだ。今よりもっと、今まで想像してきた未来よりずっと、頑張れる気がするのだ。だからずっと心にあったものを、ちゃんとかずに伝えて、泣いて、決めた。挑戦はいつも楽でないしやりたくない。がもっと自分で決めたことから逃げずに戦ってみたいと思った。まだ完全には決まってはないが。いいや決まっている。こころでは。でもこころうちだけで留めては実行できない性格だ。なのでこうして、ことばにして残しておく。

最後に


これから先に、おなじ温度で結婚式について書けることがないかもしれない。でもやっぱり保存していたい。今日も 昨日も 明日も。だから私は写真を撮る。

このサイトは私たちの結婚式までの軌跡をたどるものから、これからにつづいていくポートフォリオに変わった。結婚式までが「ー(マイナス)」10月11日が「0」そしてこれからが「+」の日々として写真で綴られていく。私たちの日々はこの日で終わるのではない。この日からはじまるのでもない。この日をまんなかに、いつも暮らしをまんなかに、進んでいくのだ。

私はいつまでも謙虚に、感謝してまっすぐ生きていく。生きる。そう簡単には死なない。約束します。

だからいつもまわりにいてくれる人たち、遠くから見守ってくれる人たち、家族、友達、SNSでつながっている人全員、本当にありがとう。
がんばるよ。かずを幸せにして、私は挑戦し続けて生きていきます。
だからどうかこれからも末永くよろしくお願いします!

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