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【警察エッセイ】罪は人がするモノ

ハイどうもぉ。
皆さんの心の中の罪を憎んで人を憎まず。
元警察官の花山烏一はなやまけいいちです。

皆さん、嫌いな言葉はありますかい?

『テメェの喋る一言一句が嫌だよ、この野郎。』というツッコミは置いておいて、花山はこの『罪を憎んで人を憎まず』って言葉がすこぶる嫌いなんよ。

元々この言葉は、かの孔子の言葉で意味はそのまんまんで『罪は憎むべきだけども、その罪を犯した人まで憎むべきではない』という意味なのね。

罪を犯した人にも犯した経緯にそれなりの理由があって、かつその犯意を汲む事が大切だみたいな意味なんだろうけども、孔子は好きだけどもこの言葉に対しては真っ向から反対したい。

そもそも罪、つまり法を犯すというのは人がやるモノなんよね。要するに人ありきで罪というモノは存在するんよ。例え動物が人を殺めても殺処分されるかもしれないけども罪には問われないじゃない。

なのに何故、罪は憎めど人は憎まずという事が思い付くんかなとちん○こに毛が生えてないくらいのガキンチョの頃から思っていたんよね。

今回はそんな罪も憎けりゃ人憎いハナシ。


■罪は人がするモノ

当然だけども、警察官という仕事をしていると犯罪者と邂逅する事が日常になるんよね。

特に花山みたいな留置所での勤務経験がある人はそもそも犯罪者と会う事が仕事だから、もはや家族よりも犯罪者と過ごしている時間の方が長がったりするのね。そんな犯罪者とばっかり会っていると、犯罪者が考えている事がよく分かるのね。

残念な事に心の底から犯した罪を反省している犯罪者なんて色違いのポケモン並にレアなんよ。

留置所勤務だと取調べとかはしないから犯罪に至った経緯までは分からないんだけども、どう考えても身勝手で被害者の事なんて微塵も考えずに罪を犯したケースばっかりなのね。時には警察官だって罪を犯すに至った経緯に同情する様な事もあるけども、ほとんどの犯罪は情状酌量の余地がない犯罪なんよ。そんな状況で犯した罪は憎んでも犯罪者は憎まないなんて事を皆さんが警察官なり司法機関で働いている人だったら言える?

花山は言えない。

第一、被害を受けた人に人の方を憎んじゃアカンよなんて言えないよね。

憎しみからは何も生まれないという人もいるだろうけども、憎しみからしか生まれないモノもあると思うのね。

憎しみが芽生えた故に、例えば、自分が受けた犯罪と同じ被害を受ける人を助けようみたいな活動も生まれたりすると思うのね。

綺麗事で語れる世界になれば良いと思うけども、現実は綺麗事じゃ片付けられない事で溢れているんよね。

■まとめ

花山は犯罪に巻き込まれた経験はないからあくまで警察官時代の感性だけども、何かしらの犯罪の被害を受けた人は、相手を憎みに憎み切っていいと思う。

色んな人が『もう良いんじゃない?』とぬかしてくるけども、人の感情なんて家族だとしとも違うのだから、自分に正直に憎いなら憎いと思って間違いはないんよね。というか、犯罪者の多くは口では実に素晴らしい言葉を並べるけども、本心では『早く終わらんかな。』ぐらいにしか思ってなかったりするからね。

コレは想像じゃなくて、実際に警察官をやっていて多くの犯罪者に会ってきた花山自身が肌で感じた事。

ホントに被害者に対して悪いと思って反省している人が笑ったり冗談を言ったり自分の今後の事ばっかり言ったりするとは思えんのよね。

花山は警察官を辞めた今でも、罪も憎けりゃ人も憎いと思うんよ。

今回は以上となります。
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花山 烏一/ハナヤマ ケーイチ
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