【警察モノガタリ】歯車の噛み合う音
もはやイチ交番の警察官が抱えるには事が大きくなり過ぎる問題だった。
高木の娘から聴取した内容を帰署後すぐに地域課長へと報告した。
それからすぐにこの問題は真中警察署の幹部に留まらず警察本部をも関わるモノへと発展していった。
とはいえ、現段階で木村が事件に巻き込まれた事が確定ではないため一旦は行方不明事案として進めてい事が決定した一方で、情報が集まり次第、道路交通法違反の逃走事案あるいは全く別件の事件として捜査する方向となった。
本件の端緒を担った人間である自分にとって通常業務をこなしながら木村の情報も集めなければならないのは、いささか骨が折れる事であった。
『なかなか大変そうにしているね若人よ。』
刑事課の女性警察官である小牧さんが話し掛けて来た。
『僕はそこまで重い比重が掛かっているワケじゃないので大丈夫ですよ。それよりも小牧さんこそ大丈夫ですか?』
この木村行方不明事案については、我々の真中警察署に加えて木村が住む東川市を管轄する東川警察署、それに重要事案に発展する事を見据えて東海県警察本部の捜査一課の三つ巴での体制で運用される事が決まっていた。
小牧さんは担当警察署の若手刑事という事でここ最近は休日返上で木村の情報収集に明け暮れていた。
『若人に心配されるほどお姉さんはまだ老いぼれてないよ。』
この人はどんな状況でも飄々としている。
たまに現場で一緒になったりするのだが、荒れ狂う現場の中でこういった平常心を保つ事が出来る人がいるのはとてもありがたいと感じていた。
『でもね、さすがのお姉さんもちょっと最近は疲労困憊。という事で今日は私との飲みに付き合う事を君に命じる。』
この人が弱音を吐くのを聞いたのは初めてかもしれない。
それほど事件の担当警察署の若手刑事というのは心身ともに大変なのだろう。
『分かりました。お付き合いします。』
『いや〜、大変大変。大変過ぎてお姉さん人生で初めて肩が凝っちゃってるよ。』
『そんなにお凝りなら肩でも揉みましょうか。』
『お。君には似つかわしくないセクハラ発言だね。お姉さん本気にしちゃうぞこのエロ小僧め。』
まだ席に付いて1時間も経っていないくらいだが、お互いに日々の鬱憤を晴らす様にハイペースでお酒を飲み続けているせいかだいぶ酔いが進んでいる。
『僕も男ですからね。言う時は言いますよ。でもね、こんなセクハラ発言は小牧さんにしか言いませんよ。』
『お。それは私の事を女性として見ていないって事かね。』
『違いますよ。小牧さんなら本心でやってあげたいとな思って言ったまでですよ。』
『なんだなんだ?エロ小僧のくせに私の事を口説いてんのかい?』
こんなに酔っ払っている小牧さんも初めて見る。
今日の小牧さんはいつもと雰囲気が違う。
この違和感が何かは確証を持てないが普段見れない小牧さんの姿に一抹の不安を覚える。
『まぁ、冗談は置いておいて、今回の件って小牧さんの見立てだとどう思います?』
ただの交通違反の逃走事案と何かしらの事件に巻き込まれたのじゃ重大さが桁違いに違う。
『う〜ん。私の勘だけども木村はもうこの世にいないと思う。』
『それって木村はもう死んでるって事ですか?』
『そうとも言う。』
さすがにハナシが飛躍し過ぎていると思う反面、この人の異次元とも言える捜査能力を鑑みると当たってる様にも思える。
『何で死んでると思うんですか?』
『今、勘って言ったでしょ。刑事の勘。若手女性刑事の勘ってやつよ。』
何とも腑に落ちない。
可能性としてはゼロじゃないが、小牧さんの口振りだと勘にしては確証を持った言い方に聞こえる。
『ホントに死んでたら今後この事案はどうなるんですかね?』
『私らみたいな下っ端は流れに身を任せるままよ。』
何か途轍もない渦の中に巻き込まれていく様な気がした。
その後は仕事の事からプライベートの事までなんて事はないハナシをしていた。
『私には兄が一人いたのね。』
そんなタイミングで脈絡もなく小牧さんが身上話をし始めた。
『5つ歳上で君みたいに精悍でそれでいてホントに優しくて頼りがいがあって誇りに思える兄だった。』
『そんな素晴らしいお兄さんがいたんですね。』
『そうそう。ホントにカッコ良くてね。女性からモテモテだったんだ。』
小牧さん自身も端整な顔立ちをしているからさぞかしお兄さんもカッコ良かったのだろう。
『でもね、5年前に死んじゃったの。』
思いもよらなかった言葉に何と相槌を打っていいのか分からない。
『5年前だと僕がちょうど警察官になるかどうかの頃くらいですね。何かご病気でお亡くなりになられたんですか?』
『殺されたの。』
絶句するとはまさに今の自分に起きている事を言うのだと思った。
『なんで殺されたのかは分からないの。その時は私もまだ交番勤務していたペーペーの警察官だったし、身内が殺された事件って事で上の人達が私を事件から遠ざけるために捜査には参加させてくれなかったの。』
さすがのハナシにまだ脳が追い付けない。
『捜査に参加させてくれないのならせめて情報だけは逐一欲しいとお願いしたんだけど、警察官の兄が殺されたって事で結構世間で騒がれてね。だから、私に来る情報は又聞きの又聞きレベルのモノ。周りに聞いても誰も詳しくは教えてくれなかった。』
そういえば警察官になる前にニュースで見た記憶がある。
『そのお兄さんを殺した犯人は?』
『どうなっているのか全然分からないの。』
『いくら小牧さんが警察官といっても被害者遺族なのに何も情報が来ないのはおかしいじゃないですか。まさか、事件として立件出来なかったんですか?』
『ちゃんと殺人事件で立件したよ。ただ、犯人が少年だったのね。いや、少年達と言った方がいいのかな。』
被害者遺族の元警察官と少年による殺人事件。
確かに小牧さんの元に詳らかな情報が降りなかったのは分かる。
とはいえ、あまりにも情報が統制され過ぎてると思う。
何より小牧さんも何とかして事件の真相を調べようとはしなかったのか。
もはやさっきまでの酔いはどこかにいってしまっている。
『小牧さんは事件の事を調べなかったんですか?なんで上の人達は小牧さんに情報を伝えなかったんですか?』
『私が報復する事を恐れたからじゃないかな。だから、誰に聞いても事件の詳細は教えてくれなかった。そんな感じだから調べようにも調べられないし、仕事なんてまともに出来なくてしばらく休んでいたのね。そんな事がしばらく続いていたから警察なんて続けられないって思って辞めようと思ってたの。だけど、今辞めたらホントに真相を知れなくなるって思って何とか続けて、刑事になればいつか真相を知れるんじゃないかと思って頑張ったんだよね。』
身内を殺された人のハナシを聞くのは初めてじゃない。
何度かそういった経験をした人のハナシを聞いた事があるが、どこまでいっても遠く離れたハナシだと思っていた。
それがこんなにも身近にいたとなるとどうしていいのか分からない。
身近な人間の全く知らない一面を見て複雑な思いが募る。
『何で僕に話そうと思ったんですか?』
いくら酔っ払った勢いだといえ易々と話せる様な内容ではない。
『そうね。君には何か話しておいていた方が良い気がしたの。それに兄には当時付き合っていた女性がいてね。その人が君も知っている人なんだよ。』
『え?誰ですか?』
『尾張係長。』
想像したくなかった歯車が噛み合う音が聞こえた。