クボタカイ、ダイスキ (vol.1)
タイトルの通りなのだが、クボタカイというアーティストが好きである。
初めて存在を知ったのは確か2021年かその少し前だと思う。
ふだんは音楽番組を見ないので、スマートフォンの音楽アプリがおせっかいに薦めてくる音楽を垂れ流しているときに耳に流れてきて、思わず、この曲だれのだ?と画面を見た。
余談だが、今書いた一文は20年前ならなんのこっちゃわからない表現だし、20年後も意味が伝わない可能性が高いので、言葉はある程度変わらなくても描写には時代性がつきまといますね。ともかく。
思わず、『この歌は何?誰が歌っているの?』と確認したくなったのには訳がある。
メロウなR&Bの音にのせて始まる歌詞が”汚れちまった悲しみに、今日も小雪の降りかかる”だったのだ。更には、”汚れちまった悲しみに今日も小雪の降りかかる”、なのに、”ヒールでズレる二人の距離”と続き、”くたびれたコンドーム”と”裸の天使が死んでいる朝”といった歌詞達が一つの曲の中で立ち上がっていくのだ。
それが私には衝撃だった。「汚れちまった悲しみに、今日も小雪の降りかかる」といえば、いわずもがな中原中也の詩の一節だが、その近代純文学の一節を現代のメロディにのせて今の風景をかぶせていくという、1曲の中で組み合わせる時代性のギャップ、ギャップを重ねているのに全体としてはなめらかに紡がれていて世界観が高まっているようなまとまり方、アクセントになるはずの部分が悪目立ちせずに”今”にちゃんとつながっている感じ、そういったことのすべてが衝撃だった。そういう曲は今までなかった。
新しいものを作ることは、結局のところ既にある素材の組み合わせの新しさだという考え方がある。確かにそうで、そうやって様々な新しいものが生まれている。生まれてはいるが、結果、悪い意味での違和感、つぎはぎ感があるものが大量に生まれるのが当たり前で、『最初からこの形でしたよ』、という風情の完全に調和した「新しいもの」はなかなか生まれない。そしてそういうものが生まれたとき、人は「新しい!」と感じると思う。
クボタカイの曲は、ノスタルジックな空気をまとっているのに、その、本当の「新しい」曲、新しい世界だと思う。
クボタカイ、ダイスキの理由はまだまだあるので以降に続く。
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