馬鹿と弱者がまかり通る世の中になっている気がする。多様性?

本当に「馬鹿馬鹿しい」話ではあるが、例えば、とある輩が馬鹿な事をしてSNSでバズって、それをメディアが更に焚きつけて、結果的に話題性の向上につながってしまうという、くだらない事象が起きている。それを見て、いわゆる「炎上商法」的な事で味をしめて、もっとくだらない2番煎じを行うものが発生する。何とも良くない連鎖だと思う。これはさ、結局みんなが自分の事しか考えていないからなのではないかと思う。変な行為をする事で目立ちたい奴、それをピックアップする事で目先の視聴率を優先させ、ビジネスとモラルのボーダーを超えてわきまえていない企業、2番煎じが儲からない事を知ってか知らずか、それを見て真似をしたがる人気者になりたいだけの輩。
もうちょっとセンスの良い閃きってのはないのかねしかし。頭が良い悪いの問題ではなくて頭の使い方の問題だよ。これをやったらどうなるのかと、一歩立ち止まって考えればすぐにわかるじゃんと思うのだが、どうしてこうも短絡的なのかと不思議に感じる。

あとは、「自称弱者」(「自称ヤクザ」に間違えて聞こえそう)。
まだまだかもしれないけど、少なくとも10年前に比べれば、女性が働く環境が整ってきている。だからと言って専業主婦だって負い目を感じる必要は全くない。専業主婦の皆様の支えがあって、旦那さんは仕事に力を入れられているんだからね。たまのティータイムだって全然いいでしょうよ。旦那だってデスクやどこかで一服しているんだからw
しかし、「自分はこんなにやっているのにあの人はダラダラしている」と批判する必要はなく、そもそも比較する必要もないと思う。これも短絡的で、「本当にダラダラしているのか?」を今一度観察してみた方が良い。この比較は怖いもので、仮に同じ仕事量を捌いているなら、頑張っている自分の方が効率が悪く、ダラダラしている人の方が優秀であることを示してしまっている。そもそも仕事というのは誰もやりたくないものであって、企業がお金を払うからやってくれという契約で成り立っている。やりたくない業務内容を「いかにしてやらないか→やらなくて結果や数字を出すか」と考える人が非常に効率的で優秀だと思う。

一方プライベートは全く逆で、いかに労力を使うか?に重きをおくべきだと思う。食器洗いが大変だ、だから食洗器を使うんだ、といった一時の楽をたまに使う分には良いと思うけど、乾燥させるための電気代増加分は、結局誰かがどこかから稼いでこなければならない。この意識が強いのが専業主婦なのかな。だから専業主婦(専業でなくとも主婦)は偉いと思うんですけどね。

つまらないニュースや話題はシャットアウトするようにしているけど、なんだかヘンテコなところが容認されていますなぁ。多様性の容認とはき違えている気もしますね。。。

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