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クリアリング

今日は僕の無意識深いところにあった

傷ついた感情が出てきているので

今ここシェアもしながら

ゆっくり感じながらクリアリング中。
 
 
 
昨日の夜に彩から

「目や表情が死んでいる」

と指摘されて
 
 
確かにそうだよなって

自分でもちょうど感じていて

向き合いたいなと思っていたところ
 
 
今朝起きて

彩との1日のはじまりのハグをしたいと

笑顔でハグしようと彩に近づいたところ

勢い余って彩の手にぶつかり

「痛っ」って彩が叫んだとき
 
 
フラッシュバックのように

自分の中の古い悲しみが

唐突に蘇ってきた。
 
 
『僕が愛情もって関わろうとすると

決まって誰かを傷ついてしまう...』
 
 
 
小学校6年生のころ

自転車の後輪に足が挟まり動けなくなった

女の子を助けようと

当時の僕なりにいろいろ試みて

足を外そうと救助を試みるけど

一向に外れない。 
 
 
周囲の人が救急車を呼んで

搬送の人が駆けつけてくれたが

そのときその人に

『余計なことをするな!邪魔だからどいてろ!!』

と体を振り払われ、突き放された。
 
 
当時の僕としてはそのとき一瞬

思考が停止し、そして愕然となった。
 
 
『僕が助けようとした行為は

相手を傷つけてしまう行為であり

邪魔だったんだ...』
 
 
 
もちろん

当時の搬送の方からすれば

一瞬の判断ミスで大事につながる

緊急な出来事なので

そこにいた女の子の救助を最優先して

咄嗟にそう判断されたのは理解はできた。
 
 
でもそれでも

当時のこどもの僕にとっては
 

「自分は不要な存在なんだ」
 

「自分の人を想う気持ちは

人を傷つけてしまうんだ...」
 
 

『自らの愛を自分で閉ざして』

しまう決断が入った瞬間だった。

 
 
そのときの僕は

そのあと搬送の方に助けられて

救急車に乗せられ去っていった

女の子の姿を見て

涙がたくさん溢れてきた。
 
 
 
「自分という存在は

一体何のためにあったんだろう」

「僕はあの瞬間、不要な存在だったのか」
 
 
きっと母子家庭で育つなかで抱えた

悲しみや寂しさ、憤りの気持ちを投影して
 
 
救急隊員の方に

『邪魔だ』

と突き放された瞬間
 
 
『自分の愛を閉ざす決断をした』

んだなというのが

思い出して振り返ってみた腑に落ちた。
 
 
 
あのときの

「愛を閉ざした選択と決断」に

ある意味ずっと自分が苦しめられていたんだ...
 
 
どうやっても

自分の愛にたどり着けない

自分の愛の感覚を呼び起こせない
 
 
そこには強烈な

「自分の愛を二度と人には使わない」

という僕自身に選択があったんだと。
 
 
 
なので今日は

そのときのことを振り返りながら

感じていた悲しみや苦しみ

カラダの反応や感情の動きを

味わって感じてみて

今日はじっくり

クリアリングをしてあげている。
 
 
 
他にもたくさん

『自らの愛を閉ざした瞬間』

はたくさんあったけど
 
 
こうした

『閉ざしてしまった自らの愛』

にひとつひとつ気づいてあげて

「コンコン」とノックをして

自分自身の心に出会いに行ってあげる
 
 
そのときの感情を

ひとつひとつ丁寧に感じていってあげる...
 
 
 
そうすることで

少しずつだけど

でも確実に
 
 
『わかってもらったんだ』

『気づいてもらえたんだ』
 
 
と自分のなかで癒しがおこり
 
抱えていた気持ちが楽になって

それまで見えていた世界が

ガラリと様相を変えるんだよね。
 
 
 
今日僕のなかで思い出した

『愛を閉ざす決断』

は、きっと僕だけじゃなくて

多かれ少なかれ

誰でも

知らず知らずにやってしまう

防衛本能だったりすると思う。
 
 
 
だけど

そのことを忘れ

無意識深くに葬られ
 
 
でも

そのときの決断で『断たれた愛』は

いつまでも愛のままで存在し続け
 
 
いつの日か

その本人に気づいてもらおうと

あの手この手を使って

僕らの人生に試練と言う名の

『愛のメッセージ』

を送り続けてくる。
 
 
 
だからこそ

気づいてあげたいし

今日の僕の気づきも

きっと誰かの

『愛の気づき』に繋がるかなと思って

共有してみることにした。

 
 
共に癒し会えたほうが

早く癒されていくからね♪
 
 
 
今日の僕の気づきと癒やしが

誰かの気づきと癒しに繋がっていますように。

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