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育児とは「愛情・愛着」を育むこと

今日で生後11日目

僕の中では

尊音くんが誕生した日から

時間が止まったかのような感覚が続いている
 
 
産まれてきてくれた日が

彩と一緒に陣痛を起こすために

ひたすら階段昇降したあの日が

つい昨日のことだったかのように止まって

その中で濃厚な日々を過ごしている...
 
 
小さいながらも

日に日に変わっていく尊音くん
 
 
数日前からは時折

「笑顔」を見せてくれるようになり

最初は急に “にこっ” と一瞬だけ

笑う感じだったのが

今日は明らかに

僕らの呼びかけに対して

“にっこり” 笑い返してくれた...
 
 
彼の中ではきっと

日々一瞬一瞬の動きや仕草がすべて

全身全霊で成長しようとしている証なんだと

見ていてすごく感動する
 
 
目には見えない変化が

彼のなかでどんどん起こっている
 
 
 
そして

おむつ替えをすればするほど

沐浴をすればするほど

尊音くんのことがより

「愛おしく」

なっている...
 
 
 
それまではどこか

おむつ替えや沐浴は

育児にまつわる “作業” のように

捉えている自分がいた
 
 
でも実際には

おむつ替えをするたびに

うんちで汚れたおむつを

手で洗えば洗うほどに

彼への「愛おしさ」が増す...
 
 
 
沐浴も

最初はギャン泣きされ

どう抱いたらいいのか

どう扱ってあげたらいいのか

シドロモドロだったのが
 
 
日を重ねるごとに

服の脱がし方

お湯への入れ方

石けんでお肌を洗うスピードや触れ方...
 
 
その一つ一つに

敏感に応えてくれる尊音くんの

反応や様子をみながら

どうやったらもっと

「気持ちよさそうに入ってもらえるか」

その尊音くんとの無音の問答のような

互いを探り合うような

感じ合おうとするその感覚や行為が

日を増すごとに楽しくなっている♪
 
 
 
よく育児本でも

「パパも率先して育児に参加して

赤ちゃんとのコミュニケーションをとる」

ことの大切さが書かれているけど
 
 
育児こそが

『愛情や愛着関係を育む行為』

なのだということ
 
 
 
これはママとパパで

性別的な感覚の違いがあるかもだけど
 
 
パパ(男性)の視点からすれば

おむつ替えやおむつ洗い

沐浴などの行為に比例して

赤ちゃんへの『愛着・愛情』が増すように

生物学的にもできているんだと思う
 
 
例えるなら

大切にしている“愛車”を

毎日手入れして大切に扱ってあげるほど

愛車への「愛着」が湧くのと原理は同じ
 
 
大切なもの、大切な人へ

関心を寄せて大切に扱った分だけ

その“もの”や“人”にも

愛情や愛着が湧くようになっているけど
 
 
育児もその意味では

全く同じなんだなと染み染み思う
 
 
ただ

“もの”に対する愛着とは

「決定的に違うもの」もある
 
 
それはまだ上手く言語化できないけど

今感じる範囲で言語化してみるなら

『神聖なものを扱っている』

という感覚
 
 
尊い存在

貴重な存在

とてもとても繊細で洗練されて

美しく神聖な存在...
 
 
そういう

「神の御現」ともいうような

神様からの大切な大切な “預かりもの” を

丁寧に育てているような感覚...
 
 
神様や仏様が『育児』をするなら

どんな育児になるのか...
 
 
そんな感じかもしれない
 
 
 
育児とは思っていた以上に

より『能動的』なものだし

自分自身のなかで赤ちゃんへの

『愛情・愛着』を育んでいく

とっても大切な行為...
 
 
育児は

「主体的に関わった分だけ」

自分に

「愛情や愛着」

という喜びで還ってくる...
 
 
そうやって

『家族』は育まれていく

パパ・ママとは独立した存在との間に

そうやって

『家族の絆』が育まれていく...
 
 
人は “未熟”で産まれてきてくれるからこそ

育児を通して血縁を超えた

『ファミリー』

を育むことができる
 
 
赤ちゃんが持って産まれてきた

『ギフト』

それが今のところ感じている

『育児』の本質です🌿

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