育児を通して
『 “可愛い” というよりも “愛おしい” 』
この1週間
育児のフォローのため九州から
駆けつけてくれてた僕の母
一緒に寝泊まりして
オムツ替えや抱っこや洗濯や料理など
いろいろと育児を手伝ってくれるなかで
芽生えたという感覚
新生児を抱っこするのも
僕以来約40年ぶり
最初は “可愛い” という感覚だったものが
一緒に育児をしていくなかで
いつしか
『愛おしい』
という感覚に変わっていたという
そのことを
ほんとに “愛おしそうに” 語ってくれた
母の雰囲気が “母性” に溢れていていて
印象的だった...
僕も
尊音くんが産まれてからの20日間
毎日、オムツを換え
沐浴に入れて
抱っこして寝かしつけて
そうやって尊音くんと関わるなかで
『愛おしい』って感覚が養われていて
ああ、こうやって
『親になる』んだと
とても染み染み感じています
「親」という存在が最初からいるのではなくて
この『愛おしい』『大切にしたい』という
愛情や気持ちが養われるなかで
いつしかその存在を
『親』と呼ぶようになるんだなと
母が言った『愛おしい』という響きのなかに
僕が感じていたものと “同じ” ものを感じて
誰もが “親” になれるのだと思った
オムツを換えて
洋服を着せ替えて
お風呂に入れて
オムツを洗って
抱っこして
寝かしつけて...
この至ってあたりまえのように
やらなければならない
『育児という行為』が
こんなにも
人を『親』にさせる
大切な儀式なんだということを
子どもを『愛おしい存在』にさせる
直接的な行為だということを
なんだかとても
偉大で尊いことのように思えてきます
育児をはじめてまだ20日ですが
「当たり前」のように行われてきた
“育児”という関わりや行為のなかに
こんなにも “偉大” で “凄い” ことを
誰も自慢をすることもなく
当たり前のように行われてきていることが
本当に凄いというか
もっとみんな “自慢” していいと
思ってします
育児一つが
オムツ替え一つが
こんなにも愛情を育む
尊い行いであることを
世のお母さんたちは
みんな当たり前のように感じていて
当たり前のように共有されていて...
だから
お母さんたちからは
あの母性という名の
『温もり』や『優しさ』が
溢れ出ていたのかと
滲み出ていたのかと
その根源を教えてもらってる気がして
『凄いな』としか言えなくなる...
僕の語彙力がないために
表現する言葉が出てこないために
今感じている“感覚”があるんだけど
それを表現したいんだけど
うまく表現できないことがもどかしいw
でもがんばって表現するならば
世に行われている『育児』という行為は
ただそれだけで
『とても神聖で、尊く、美しい...
もっと “誇り” に思っていい大切な行為』
ということ
育児を通して「親」になるし
育児を通して「愛おしさ」を育むし
育児を通して「大切ななにか」が養われていく
『育児の神聖さ』が
取り戻されたとき
人の尊厳は劇的に変わると思う...
何はともあれ
僕の母が尊音くんとの関わりを通して
『愛おしい』という感情が
育まれてくれたことに
ありがとう、良かったと思います
きっとこの想いは
この先何十年も経って
母が亡くなったとしても
尊音くんを導く
大きな『支え』になってくれると思うから...
この1週間の関わりを通して
母のいのちは
“永遠” に尊音くんのなかで
生き続けるものになると想うから...🌌
“いのち” は
こうやって
受け継がれていく...
永遠に生きる...
そんな瞬間を見た気がします🌌✨