日記
些細なことで同居人と喧嘩をした。ただ、同じような内容で1年に一回ほど喧嘩をしているので、積もりに積もった何かを新陳代謝するようなものなのかもしれない。それでも、人と食い違う意見を真っ向から伝えるのにはエネルギーを使う。自分よりも論理的な人に対してはなおのことだと感じる。
その喧嘩から少し日をあけ、仕事でミスをした。ほぼ同時期に加入した方も同じような指摘を受けていたので、二人して「そんな説明されてへんがな」という顔をする(リモートワークなので直接顔をあわせてはいないが、送りあったメッセージからほんのりとそんな印象を受ける)。それでも会社的に悪いことをしてしまったのは確かなので丁重に詫びた。上長にあたる人から受けた指摘は、もう一人の方の内容とごちゃ混ぜになっていた。
愛用していたレターセットの封筒より先に便箋がなくなったので、コンビニに向かう。様々なコンビニを渡り歩くも見つからず、開店直後のスーパーですら見つからない(最寄りのスーパーには封筒だけ陳列されていた)。疲れた足を引きずりながら「コンビニには何でもあるのに何にもない! 便箋を買いにわざわざ専門店へ行かねばならないのか!」と憤った挙げ句、自分で「行くまでもないもの」と感じるのであればルーズリーフでもなんでもいいじゃないか……と怒りの矛盾に気づいてしまって、少し落ち込んだ。
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最近、そんな落ち込み方をすることが増えてきた(もしくは私の中での比重が大きくなってしまったらしい)。人づき合いや仕事でのやり取りで勝手に信じて、勝手に傷つくことがしんどくなってきた。
表面を触るだけでざらっとする、目の大きなやすりで数回こすったくらいの小さな違和感が多方向から押し寄せてくる。そのなかで「ああ、この感覚がしんどかったから、学生時代はあまり外に出なかったんだ」と思い返す。
信じないことが、楽に生きるコツのように思える。
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好きなデザイナーさんの展示をみに名古屋へ行った。(そう、名古屋へ行きました!)朝早くの高速バスに飛び乗り、着いたら愛知県図書館のスガキヤでラーメンを啜り、義理立てのような感情で名古屋城の外周だけを眺めて、目的地へ向かった。
駅を出ると、動物の銅像が見えた。それを横目にずんずん進み、展示場所へとたどり着く。展示をみて久しぶりにほっこりとした気分になり、隣に併設された本屋さんへ足を向ける。
マンションの一室なので、そこまで広さはない。だからこそ、じっくりと棚を眺められた。背表紙だけみて気になった対談の聞き手が堀江敏幸で驚く。その後、数列先の本に目を向けて、己の瞳孔が開いたのがわかった。
そこにあったのは『ケアの記録3』(森田胡桃子)。学生時代、学友だった彼女が「しんどい」と思い悩み、それでも筆を折らず形にした平綴じの冊子を、旅先で手に取れたことを嬉しく思った。
そして欲望のまま連れ帰った(ごめんね)その晩にページを開き、次の日に読み返し、最寄り駅の100円均一ショップで便箋を買った。
久しぶり、元気?
私は変わらず、些細なことで「しんどい」と落ち込んでいます。
仕事でもミスしたし、言いたいことは十分の一も伝えられないし。
独り相撲で裏切られたような思いを抱いて、凹みました。
でも、いつでもあなたに助けられていることを伝えたかったんです。
「書き綴る」を手放さなかった彼女に、伝えたいことがたくさんある。