変声期障害(音声障害)を克服した話(第1章)
第0章:初めてのnote
「今では、自分の声が好きです。毎日、鼻歌を歌っています。」
「今までは、自分の声が嫌いでした。毎日、声を出すことがストレスでした。」
この記事がnote初投稿になります。noteの使い方がよく分からないのですが、記事を書くたびに成長していくと思いますので、温かい目で読んでいただけると嬉しく思います。
noteを始めようと思ったきっかけは、「変声期障害(音声障害)」を共有したいと思ったからです。こんなテーマが果たして需要があるのか。と言われると、たぶん需要がないと思います。というのも、僕はこのテーマに長年悩まされてきたのですが、ネットで検索しても全くヒットしませんでした。ということは、このテーマに悩まされている人は少ないんだろうなと思います。
ですが、僕のように変声期障害(音声障害)に悩まされている人は存在するのではないか?と思います。なので、その一部の読者に記事を読んで頂きたいので書かせてください。
僕はあまり文章作成能力に自信がないので、読みづらい点があるかもしれませんが辛抱してください。
第1章:変声期障害(音声障害)に12年間悩んだストーリー
12年間のストーリーを文字に記していきます。
たくさん書きたいという思いはあるのですが、そうするとかなりボリューミーな内容になってしまうため、補足して伝えたい内容に関しては別記事にて執筆します。
①変声期障害というワードを知ったのは中学3年のとき
変声期障害という言葉。おそらく皆さん馴染みのないワードだと思います。僕がこの言葉を知ったのは中学3年生のとき。周りの皆んなは声変わりが終わり、大人の声に変わっていく中、僕だけ声変わりした感覚がありませんでした。
声変わりしていないということは、「ずっと青年のような声の高いスッキリとした声」
を想像しますよね。でも、僕の場合、そうではなく、「声変わり最中のような声」がずっと続いている感じでした。声に張りがなくヒョロヒョロとした声です。周囲の友人からも、「声変わりまだしてないの?」「声大丈夫?」「風邪ひいてる?」と心配をかけられたり、半分馬鹿にされたりしていました。同級生にまだ声変わりが終わっていない子が1人いたのですが、その子は声に張りがありました。
異変を感じ始めた僕はネットで検索を始めました。当初は中学生で、スマホなんて持っていなかったので家にあるパソコンで調べました。ですが、何と調べていいのか分からず、「声変わり いつ?」とか、「中学生 声が高い」とか。なかなか手掛かりを見つけることができませんでした。
ですが、「コレじゃない?」
調べ尽くして行き着いた先は「変声期障害」というワードでした。
②時が経てば声変わりするだろうと“思っていた“
中学を卒業し、高校へと進学。高校生ともなれば、さすがに皆んな声変わりをしていました。僕は高校生になってから体毛が濃くなり始め、「そろそろ声も変化するかも」と思っていました。しかし、高校3年の終わりの頃でも声は変わらないまま。なんで僕だけ声変わりしないんだろう。「もうずっとこの声のままなのか」と思いながら、気づけば大学も卒業していました。
③社会人になってから「音声治療」で克服
この声のまま、とうとう社会人になりました。入社すると、接客や営業、プレゼンをする機会が多く、学生のときより人前で声を使う機会が多くなりました。そして「声が小さい!」「声大丈夫か?」と、同僚や上司から言われ続けました。これが心理的にキツく、さすがにこの声ではもう通用しないと思うようになりました。
とうとう声を治したいと決意するようになったのですが、どんなふうに治せばいいのか分からず。とりあえず耳鼻咽喉科に行ってみることにしました。しかし、病院の先生も分からないということで、なかなか治療を始める段階までたどり着くことができませんでした。
病院を転々とする中、4件目の病院でようやく治療をスタートすることができました。そこは街中にある小さな耳鼻咽喉科。初めて院内に入ると診察室からは小さな子供が泣いている声が聞こえてきました。一般的な耳鼻科でホッコリとした気持ちになった反面、大変失礼な話になりますが、当時の僕は「こんな病院で治るのか」という不安がありました。しかし診察を受けると、この失礼極まりない不安は綺麗さっぱり無くなりました。
僕の診察の番が来ました。診察室に入ると、先生と看護師さん?3人が僕を出迎えてくれました。僕が「こんにちは、よろしくお願いします。」と言うと、先生が「こんにちは」と返してくれ、何やら若い看護師さんらしき人に向かって「この発声だと変声期障害かな?」と。そうすると看護師さんらしき人は頷いていました。
このとき、初めて僕の声に対して理解をしてくれる人がいて、とてもホッとしました。こうして治療が始まっていきます。
気になる治療に関しては、手術とか薬の服用は一切なしで、「音声治療」と呼ばれる治療をし、発声方法の改善を行いました。改善に付き合ってくれたのはとても若い言語聴覚士という資格?を持っておられる先生。2,3ヶ月あれば治ると仰るので、思わず「マジで?」と心の声を言葉にしてしまいました。余談ですが、ここで言う「治る」と言うのは、一般的には「元の状態に戻る」と言う意味で使われそうですが、僕の場合だと「元の声に戻す」と言うより、「正しい声に変える」という感じですね。
治療の流れとしては、①発声方法を教えてもらい、②家で練習してきてね、③2週間後に病院来てね。という感じです。
発声方法についてですが、声帯には上下に筋肉がそれぞれあって、上下の筋肉を使い分けて高い声や低い声を出し分けているようです。僕は片方の筋肉(上下どちらか忘れてしまいました)しか使っていなかったようです。なので、簡単に言うと、ずっと裏声で話していたと言うことになります。(長くなるので詳しい治療法は別記事にします)
5回の通院を終えると、なんと、大人の声になっていました。3ヶ月かかりました。12年間悩んでいたことが、たったの3ヶ月で。
本来の地声で話すというのは違和感がとてもありましたが、今となっては治療する前の声の方が違和感がある感じです。先生曰く、
「これが本来のあなたの体に合った声」「これが本当の“あなたの声“」
と仰りました。今となっては自分の声に自信を持っています。
職場の人:「はなうた君ってカラオケとか行くの?」
ぼく(はなうた君):「あんまり行かないですけど…」「なんでですか?」
職場の人:「いや、良い声しているから聞いてみただけ」
先日はこんな会話もありました。
④思い返せば声の異変は小学6年生のときから
時代は、はるか遡り、僕が小学6年生のとき。当時は、とあるスポーツクラブに所属していました。もちろん練習や試合ではしっかりと声を出していました。小さい頃から大きな声を出すのは得意ではありませんでしたが、まあ試合でも声を出してメンバーと連携を取っていたので声に問題はなかったと思います。
しかし、小学6年の終わり頃、何か声がおかしい。と思うようになり始めました。
声が頻繁に裏返るようになった
声を張り上げることができなくなった
初めは風邪でも引いたのかなと思っていたのですが、治る気配がなく、むしろ酷くなっていきました。
今思えば、もしかしたらこのタイミングで僕は声変わりが始まっていたのかもしれません。小学6年で声変わりが始まるのは、一般的にどうなのでしょう。少し早いですよね。僕の記憶からも小学6年で声変わりをしている友人はいませんでした。
「声変わりをするのはまだ早い」という気持ちが存在したのだと思います。
僕が変声期障害になったのは、
「声変わりが始まっているのに、声変わり前の声をずっと出し続けようとした」
というのが僕の答えです。
次章:変声期障害で辛かったこと
次章は近日中に公開します。