ファッションへのトキメキが死んで病んだ話

私は大学時代の約3年間オフィスワークで事務のアルバイトをしていた。服装はオフィスカジュアルでと言われ、できるだけシンプルな服を手に取った。仕事着だからと安く済ませてできるだけ当たり障りのない服に身を包んで、だんだんと服に対する興味を失っていった。

当時、私が服を選ぶ基準はバイトに着ていける服かどうかということが大きかった。安い服、バイトに着ていける服、シンプルな服…そんな基準で服を見ていると、洋服に対してトキメキのようなものを感じなくなってしまった。完全に仕事着とプライベート着を分けることも考えていたのだが、学生という都合上学校終わりにバイトに通うことになっていたので、その境界線も日に日に曖昧となっていた。

そのアルバイトを始めてから、お洒落に対してそして自分の価値観に対して自信を失っていった。同時に自分に対しても自信を失っていったのである。例えば、オフィスに見合った服を選んでいく内に、肌を見せることが怖くなって年中上着を手放せないし短い丈のパンツやスカートを履けなくなった。いい子ちゃんに見られたかったので色のある服は選ばないしアクセサリーやネイルもどうせできないのだからと興味を失っていった。

たかがファッションであるが今思えばそれなりに自分は精神をすり減らしていたように思う。

今、私は洋服を選ぶのが楽しい。お洒落とは言えないかもしれないが、自分の好きなものを探すのは好きだ。気分によってはモノクロな服ばかり買ってしまう時もあるので、意識的に色のある服を探してみたりするのも自分の精神状態が表れてて面白かったりする。留学して露出に対する価値観も変わった。日本は人の目が気になったり意識的に露出をすることに対してものすごく抵抗があったが、若いんだから若い内にできるファッションをしようと開き直り前向きに捉えるようになった。好きなものを選べるのがこんなに楽しいんだと思う。そうすると不思議なことにだんだん心が充実してくるのだ。

私はオフィスアルバイト時代、ファッションをないがしろにした。そうしたら自分の心が荒んでいった。人生にはトキメキが大事なのだと強く思った。この感情を感じるために好きなものを探しているのだと。

正直ファッションでこんなにも心持ちが変わるとは想像もついていなかった。この経験をするまでは。こんなに日常にすぎないことでも、それほどに自分の心に影響があるとは本当に思っていなかったのである。

勿論人がトキメキを感じるのは必ずしもファッションだけではない。けれど好きなものを探し追い求め続けることを忘れてはいけない。ときめくものには私の心を引くだけの圧倒的な価値があるのだ。私にしかわからない価値だ。

適当に理由をつけて納得したつもりで過ごしていても、たとえ無自覚だとしても、ときめくことから離れるのはこんなにも辛いのだと、花が水を得られないようにしぼんでいくのだと思った。

だからこそ私はトキメキを大切にしていきたいと思う。

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