ドMな私たちの魂ちゃん
前記事からの続き
今習っている数秘には、檻(条件付け)の数というのがあって、それが最も重要な数。
なぜなら、それは才能でもあるし、その才能を花開かせまいと足を引っ張るものでもあるから。
...なんでわざわざ?
そのこころは、『負荷をかけたハード設定をした方が、地球でいろんな体験をして、たくさんの感情を味わえるから!』なんだそう。
...うーん、あれかな?子どもの頃、道路の白い線だけが自分の足を置いていいところで、それ以外にはワニザメがウヨウヨしてる!!って設定で遊んでたみたいな感覚、なのかな。
普段はワクワク興奮して楽しいんだけど、友達との待ち合わせにだいぶ遅れてて焦ってるときでも黒い部分だけは踏んだら食いちぎられる!と信じていて、半泣きになりながら白い線を探していた子ども時代。
その遊びはもう大人になれば飽きてるはずなのに、無意識にその癖をずっと引きずってて、なんだかいつまでも歩きづらい=生きづらい、というのが、今の私たちの現状、ということなのかも。
しかも子どもの頃は、その設定を守っていさえすれば親から褒められるし、愛された(厳密に言えば、そう思い込んだ)。逆に守らなければ、怒られた。
だからますます、その設定=檻から出られない。
檻を出ようとしたときの、「ばっかもーん!」という波平さんの雷的な電気ショックビリビリの怖い記憶。
じゃあずっとその怖かった記憶を抱えて、ドMのまま私たちは生きていかなきゃいけないのか?
続きます。