あるはずのない怒り

講座2日め

軽いムチウチになったけれど
私はげんきです。


山奥の我が家に帰ってきて
お茶を飲みながら
今日やった6のエネルギーを
まだ感じ続けてる。

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6はハートのエネルギー


まず、ペアになった相手を
自分の身近な人と想定して
怒りをネチネチぶつけて責め立てる
というワーク

この説明を聞きながら
「自分にはもう“怒り”って
あんまり残ってないしな〜」と思った。

夫とはいまでは向き合って
お互い素直に話せるし

一度絶縁した両親とも
今ではわりと良い関係を築いている。


特に両親とのこじれねじれには

長い時間をかけて
心理学やコミュニケーション学を学んだり
セラピーワークに取り組んだり
フラワーエッセンスで感情を癒したりして

最終的には、
本人たちに子ども時代に感じていたことを
伝えることもできて、

関係性も良好になり
物理的な距離をきちんととれば
お互いにまあまあ丸く収まる
穏やかなつながりになった。


長年抱えてきた
自分の体や心を蝕むほどの
激しい怒りや恨みは

「両親も、初めての子どもをどう育てたら良いか、試行錯誤しただろう」

「若かった両親はもちろん完璧な人間じゃなく、未熟だったはずだし、それでも彼らのいちばん良しとする愛情のかたちで育ててくれた」

「欲しかった愛情の形ではなかったけれど、それでも私は愛されていた」

「なんなら、私は育てにくい子どもだったはずだし、親も色々悩んだだろうな〜笑」

という境地にまでなっていた。


両親に対してこんなに柔らかい気持ちを
持つことができるなんて、

過去の私からしたら、
「朝起きたらマリリン・モンローになってました」
と同じくらいの奇跡的な出来事だ。


だから怒りをぶつける想定の
相手を選ぶのにもちょっと迷って
「ま、母にしとくか」
ぐらいの気持ちでワークを始めた。



過去の記憶を引っ張り出すようにして、
冷徹な態度で

「あのときこうされたけど
それがほんとにいやだった」
とかぐちぐち声に出す。

もう激しい怒りも特に湧かなくて、
されて嫌だったことの列挙をネチネチしてたら

そこにるみさんが通りかかった。



ポンと肩に手を添えられて
「怒りの感情と繋がってね〜」
と、そっと言われる。




怒り?
そう言われても、もうないし、なー
うーん...




ふと、意識が
記憶を探っていた脳内から
身体、みぞおちのあたりに移動した。





途端




パタン、と
なにかが開いた。


私の身体が喋り出す。


続きます。

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