M-1グランプリを毎年見てるけどいつも自分の推しを応援している

以前話したとも思いますが

私はM-1グランプリを推しの晴れ舞台として拝見しております。

最初の二年はまだキッズだった為あまりお笑いに興味が無く

2003年から麒麟にはまり(顔で)

2006年までは麒麟の肉親かのように応援し続けました。

決勝三組に残っても2本目のネタでダダ滑っても

私は麒麟が見れて幸せだ。ありがとう麒麟。いや川島。

そう思いながら観賞してました。


2007年は確か決勝進出してなかったんだよなぁ。

大会自体にはでてたのかなぁ?

たむら先生のおかげで漫才がうまくかみ合っていなかった気がします。

(なにさま)


2007年以降は笑い飯推し

奈良民族博物館から笑い飯が面白いのはそばで見ていましたので。笑


麒麟、笑い飯、千鳥


この三組は切磋琢磨し合いながら

べーす吉本でも三組合同でなにかをやることが多かったので

いつも身近で見てきました。(誰やねん)


この三年はずっと笑い飯推しだったな~


ほんで5年間あいて再開したM-1グランプり。


5年経過して私の推しメンも変更され

和牛推しに。

久しぶりのM-1、和牛が全国で飛び出す!と思うと

わくわくして前日寝れませんでした。

そう思うと私もM-1戦士です。


結果は残念ながら6位。でもしんじのひねくれ感が出てて私は大好きでした。

でも私はけんしろうが大好きで和牛推しです。(顔)


2016年大会。

敗者復活から返り咲いた和牛。こんときは敗者復活の時から

どきどきどきどきしてて。

今田さんに和牛の名前を呼ばれた時なんて

号泣でした。ぐふふふと一人で。

よく頑張ったねと言いながら背中をさすってあげてる感覚で

画面越しの和牛を応援していました。


正直敗者復活からの決勝三組に残るのは

おかしくないか?といつも首をかしげていました。

サンドイッチマンはなぜ決勝に進出できなかったのか。

そもそも決勝までの審査員がおかしくねぇか?

敗者復活からの下剋上なんておかしいだろ!とおもってました。


でもこの年の私は

「板の上には魔物が潜むぜ。」

そう言ってました。たぶん。


結果は2位だったけど、ずっと泣いてました。

まだ次もあるから頑張ろうね。と大声でテレビに叫んでいたことは

今でも忘れません。


2017年。

飛び跳ねて笑ってやっぱり最高だ!この人たちが推しでよかった!そう思えるネタでした。

信二の爆発からのケンシロウの爆発。

言葉ではうまく言い表せれない。

なんであんな女方に入り込めるの!ケンシロウ!ちゅき!!!!

もう絶対優勝!ほかの組なんか全く目にもとまらず

和牛だけを見つめていました。


ただ優勝はとろサーモン。

開票中は一発ずつ銃で撃たれてるかのように

どくん、どくんと胸が騒ぎました。


なんでや。なんで伝わらへんねや。和牛の面白さが。

なんでや。どうしよ。と頭を抱えていたのは私だけではなく和牛も同じだったようです。(やすとものいたって真剣です。より)


2018年。今年こそはと私も意気込んでテレビにくぎ付け。

落ち着いた漫才。上手な漫才をみて、これでどうや!!!と

王手をさしたら霜降り明星に将棋盤をぐわぁとひっくり返されたような

笑いの渦が起きた気がしました。

笑いの神は和牛には微笑まなかった。そう思いました。

涙があふれました。。。笑


2019ねん。決勝進出できず。

落胆して、もう審査員サイドを疑うくらい

落胆しました。

敗者復活。祈るような気持ちで見ていました。

仕事中きになって気になって

録画してるくせに敗者復活から車の中から応援してて

漫才始まるときに泣き始めて終わって頃には号泣してて

がんばれっがんばれ!もうちょっと!がんばれ!

って感じで応援してて

敗者復活から勝ち上がった時はもうそれはそれは



大号泣ですよ。はい。涙腺は年を重ねるごとにゆるくなりますよね。


ただこの年も笑いの神は微笑まなかった。でも

長年みてると、やり切った感。でてたよねぇ。(はるな愛)

ただそれが、こなれ感として取られてしまってたら

とっても悲しいし、あの場の空気に慣れる漫才師なんていないし

見取り図盛山なんてお昼に爆竹食べてたし。

みんな頑張ってるってことでよくねぇ?とは思ったけど

まぁいいや。私はがんばったね。和牛ちゃん。っていいたい。


とりあえず当時の感情を羅列することしかできなかったけど、


見取り図がんばれ!(りりー推し)






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