【解釈・仮説】恋愛創作の評価方法 とその提案(第1章 現実恋愛について)
『恋愛創作の評価方法とその提案』を行うに当たり、現実恋愛についても関連すると思われる項目について触れる。
主に、恋愛創作でも現実恋愛と同様に発生すると思われる『感情のジェットコースター(以下【恋愛の楽しさの仮説>恋①の場合】に記述)』についての内容がメインとなる。
また恋愛創作の評価を行うに当たり、創作を通して突き動かされる感情の根源(=個人的恋愛観)を仮定する事で、その感情の正体を探る事が出来ないか、という目的も含んでいる。そのため、本文は感情のジェットコースターを含む個人的恋愛観についてまとめている記事となる。
【前置き(注意書き)】
・勿論恋愛創作に限った話ではない話も含まれるであろうけれども、
現状それ以外の分野については深く考えてないので、あくまで恋愛創作の枠内での話。
あくまで自分の好きなところの話をするため。
・以降、『個人的仮説』である。
仮定を集めて仮説とし、それを基準として物事を見定める。
感情論・人の数だけ意味が生まれる概念に対して、如何に構造を咀嚼(モデル化?)したかという話。
勿論例外はあるはずであり、反例の出現時は”仮定と仮説に不備がある”として見直しを行う予定。
(かつてどこかで見たことがあるような話をベースにしているかもしれないが、ソース覚えていない)
・以下、私が勝手に作った世界観の話として聞いててもらってもいいと思われます。
私は以下を真実の可能性があるという認識の下で語りますが、他者にとっては共感できない可能性があるため。
●恋愛創作の位置づけ(仮定)
[恋愛創作]の話をするために、まず[(現実)恋愛]の話を行う。
※『想像』の単語の中に、『空想』、『夢想』、『妄想』、『幻想』などが含まれる。
※『創作』はそれらに対して『創作力』・『創作意欲』が加わった結果生まれるものとする。
【恋愛とは?(仮定)】
『現実における恋愛』の仮定を行い、これを基に(比較を行って)『創作の恋愛』の仮説を行う。
※主観が多くソースは無い。今後の人生で、型に嵌めず、偏見を持たず、慎重に確かめていく。私の恋愛観の話。
●現実の『恋』と『愛』について仮定
恋と愛をそれぞれ仮定。その後、恋範囲と愛範囲の一連を仮説とする。
基本的に、恋愛は [恋]→[愛] への流れを指すもの、として考える。
※『愛』は、あくまで恋愛における愛の話
・『恋』の仮定(接触前から接触後)
①本能的な恋(惚れた側にて発生しやすい)
①-1 無意識状態(BIOS)
生物的に、あの人の遺伝子特徴が欲しい(綺麗可愛いかっこいい、胸がでかい、お尻が大きい、顔が良い、足長い、背が高い、鼻の形が良いなど無限)が(子孫のために)という欲望がある状態。
外見からの(一眼)惚れ。
これがある場合、一緒に居るだけで嬉しい楽しい感覚が起こりえる。
無意識が根源の為、意識的理由は存在していない。(後付けの理由)
①-2 意識状態(OS上)
この場合、身体的特徴を含め、それ以外の「好きなところ(内面などの意識範囲)」については、後からどんどん理由付けされ、増え続ける。
一度好きになったら全てが良く見える。
無意識から意識へ影響する。
②理性的な恋(惚れられた側にて発生しやすい)
②-1 無意識状態(BIOS)
生物的拒絶が無い(触れられただけで不快感、生物的に匂いが合わないなど)状態。遺伝子的な拒絶が現れていない。
②-2 意識状態(OS上)
性格の一致(凸(好み・考えなど)の一致、一緒にいて楽しい、害・不快がない)など。
・『愛』の仮定(接触後) ※①②の区別無し。
(『恋』の延長線上にある、『恋愛』における『愛』の話)
1 無意識状態(BIOS)
恋①の場合も含めて、”互いに長時間同じ空間に滞在した場合においても恋②に問題が無い状態”。
生存を目指す生物として、家族・家庭を維持する際に、衣食住に支障をきたす(財産、協力)問題がある場合、本能的に無意識状態の基盤が崩壊する。
2 意識状態(OS上)
恋人という関係から、今後家族(家庭を築く)になるという話。
恋の①、②とは逆。性格の一致を見るのでは無い。
凹凸が噛み合う状態、つまり凸を見るのではなく凹を見る。(この場合、凸を一致するポジティブ特徴、凹を不一致のネガティブ特徴として考えた場合の定義)
人間は育ちも人格の作りも全く違うものなので、違うところを可能な限り洗い出し、その違いについて許容可能か不可能かをお互い審議する必要がある。それが愛期間。
違いがあり、その許容が難しい場合、我慢する手段もあるが、我慢はその個人の本音では無いため、いつか必ず我慢は崩壊し、喧嘩となり、それを繰り返す。
その繰り返しこそが、許容可能か不可能かをお互い審議する(凹を擦り合わせる)機会となる。
許容・許せる事(我慢とは違う)が、愛の本質であるという仮説。
家族になるという事は、自分の家族をイメージする。今後ずっと同じ空間で共に過ごす場合の相手への対応、母、父、兄弟、姉妹とは違うけれど、それと近しい存在になるという事。
※仮定の注釈
・性欲(生理的欲求)により子孫を残したいという欲求は、恋①無意識範囲に依るところが多い為、直接愛とは関係しない。
反面、後先を考えて家族として理性的に子孫を残すの行いは恋①ではなく、愛の範囲となる。
つまり「性交」については、男女の精神状態に依存する。
初エッチであれば、恋範囲に位置する場合が多いと考える。
・また、一旦この恋愛における愛の範囲は、子供を産むまでを指す。
母親は、子が出来た途端に愛などの殆どの意識が子へ向き、夫への興味が薄れるという生物的な作りをしている仮説がある為。
●恋愛とは?(恋の仮定、愛の仮定より)
一般的に、恋愛が指し示すものは、おそらく前述の『恋(接触前から接触直後)』状態である。
意識状態については恋と愛では意味が全く異なる為、恋と愛は地続きにならない場合があると考える。
よって、『恋愛』として、一言で、同列に語る事自体が容易では無い。
【恋愛の楽しさの仮説】
仮説:恋①と恋②を比較して仮説
・恋①の場合(”実体験”による感覚からの仮説)
「相手と近い距離に居たい、話がしたい、仲良くなりたい、分かり合いたい、触れたい」という生理的欲求が発生。
その欲求について思考する場合、それが達成された場合、また達成後に思い出した場合など、強い脳内麻薬が大量に出る。
それは理性的欲求よりは生理的欲求に近いため、分泌されるエンドルフィン(脳内モルヒネ:報酬系)が多いのではないかと予想する。
欲求が達成出来ない場合や出来なかった場合、不安になりメンタルバランスが悪い方へ下降する。
恋において、そういった感情の上がり下がりの波形が不定期に繰り返される。
(x座標=時間軸。恋の起点を0とする。
y座標=感情。浮き沈みをプラス・マイナスで示せる。
達成体験が定期的に得られる場合においては、およそ正弦波に近くなる)達成していない状態は不安の為、常に下降状態(y座標がマイナス)となる。
また、平常時(y座標=0)は、刹那的にしか存在しないものとする。達成時に、上昇状態となる(y座標がプラス)。
その『感情の上がり下がり』こそが、それらを全て含めて『恋愛の楽しさ(苦しさ含む)』である。
その『感情の上がり下がり』を『感情のジェットコースター』と呼称する。
(『ジェットコースター』 = 『楽しいもののモデル』と仮定した場合)
※上がり下がりについては、「上がった場合のみ」を「楽しさ」として考える事も可能だが、単純に、下がっていた場合の方が(マイナスからプラス)、感情の上昇数値が多いという話である。
(y座標が常に0で、成功時のみプラスに上昇する場合は存在しない。マイナスが無いのであればそれは恋愛では無いのではないか?という前提によるもの)
・恋②の場合
恋①における恋愛の楽しさ(感情のジェットコースター)が発生しづらい。
特に、恋愛をしたいと思っている人(恋に恋をしている人、恋をしている自分が好きな人、ドラマや漫画やアニメを見て恋愛に対して理想を抱いている人)は、上記『恋愛の楽しさ(ジェットコースター)』が得られにくいため、「思ってたのと違った」「ドキドキしない」「期待外れ」が発生し、破局するケースが起こり得る。
愛についても、「近づきたい」などの感情の大きな起伏が発生しづらい為、ジェットコースターの起伏が起こりづらい。
恋愛を楽しむのではなく、真面目に愛方面について思考する事が推奨される。
【破局の可能性の例】
・浮気
恋①から愛へ遷移した状態、または恋②の状態、恋②から愛へ遷移した状態は、現在、恋①が得られていない状態である為、恋①を求めて浮気を行う可能性がある。
恋①を得られる機会が与えられた時に、欲望に負けて拒むことができない場合がある。
恋と愛は別物であるが故に、愛状態に居ながら恋を求めることが不可能ではない。
・恋→愛への遷移失敗
②-2 理性的な恋における意識状態から、愛における意識状態への遷移に失敗した場合。
(凸同士だけを見てしまい、凹凸のすり合わせに失敗)
※普段は「他人に迷惑をかけないように気を遣う」人であれば、恋人の前では「気を遣わない」関係を望む。
しかし、その反面「気を遣わない関係=迷惑をかけても良い関係(わがまま・お嬢様扱い等)」という、恋愛を楽しむ上で気遣いの意味について履き違えをしてしまった場合、「親しき仲にも礼儀あり」という関係性の大前提が崩壊し、それが相手にとって呑み込めない欠点として露出してしまう可能性が高まる、などある。
「第2章 恋愛創作について①」へ続きます
コーラを飲ませていただきたい。コカの。