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【感想】すずめの戸締まり


※書きかけのまま放置していた感想があったのですが、すずめの戸締まりのBlu-ray発売と聞いて爆速で購入し、それが届きましたので、当時の感覚を思い出してフレッシュではない感想を追記し殴りました。
※(注意)すずめの戸締りではなく、『すずめの戸締まり』です





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上映時間:2時間2分

みなさん、私は『すずめの戸締まり』が好きです。
とりあえず入場者特典も目当てで、3回見ました。環さんの小説が特典の時だけ行けなかったので、フリマで買いましたけど、本当はもう何回か見たかったです。

感想はそれなりにあるのですが、作品全体を通して深く考察しながら要約して語る、そんな考察ブログのような役割は私には向いてないと思いますし担当ではないので、淡々と感想だけ書くものをやっていきたいと思います。(いつも通りであります)


●作品全体的に


全体的に好きです。
全部好きです。
その好きの中にも順序立ったものはありまして、まず『すずめの戸締まり』の作品自体も大好きなのですが、

それより何よりもとにかく私は、『岩戸鈴芽』さんが大好きです。


岩戸鈴芽さんの身長は、前作の『天野陽菜』さんや『宮水三葉』さんよりも低いらしいのですが、キャラデザの影響もあってか、1番頭身が高く見えます
身長が高い(そう見える)女の子はこの世界において最高ですからね。
また、ポニーテールです。
ポニーテールもまた、世界を獲る上で重要な武器です。
見事に撃ち殺されました。
(髪を下ろした姿も最高に可愛くて、胸が締め付けられるように苦しいです)
その上で、岩戸鈴芽さんはよく身体を動かすアクティブな女の子です。
つまるところ、スタイルが良くて、よく動いて、その都度揺れるポニーテールには、この世の大切なものが詰まっているというお話です。
膝の先まで伸びるスカートもイヤラシさを感じなくて可愛くて最高ですね。
後ですね、声が、あまりにも可愛過ぎます。
岩戸鈴芽さんは最高の主人公であり、最上のヒロインというお話でした。

次に主題歌である、『すずめ feat.十明』が大好きです。
静かで穏やかながらも、力強く、身体の奥深くまで突き刺すようなメロディ、歌詞。
たまらないです。
特にサビとサビを繋げる「この身ひとつ じゃ足りない叫び」のところが、本当に最高に痺れます。
繰り返しになりますが、この曲は(主観的に)全体的に穏やかな印象で、サビも穏やかだと思います。
そんな穏やかなサビとサビを繋げるそのパートは、それ自体も穏やかではあるのですが、"穏やかでありつつも、盛り上がる力強さがもの凄い"と思います。
つまるところそのまんまですが、
「こんなに穏やかなのに、なんでこんなに盛り上がるの???なんでこんなに力強いの???なんでこんなに勇ましいの???なんでこんなにカッコイイの????なに??これ???なにこれ??」
と、初めて聞いた時から脳内がパニックになってしまったのです。
そして、曲のタイトルを見て
「これが????これが、すずめさんなの??????」
という、岩戸鈴芽さんへの好感度も含めて、セットでイき狂ってしまった訳ですね。


●物語の内容について


考察だとかは散々語られているでしょうし、そういった説明のような事は今更にもなりますので、説明下手な私からは致しませんが、物語の好きな箇所についての話です。
本作は、現実で事実起こった災害をモチーフとした作品ですので、
茶化したり、悪巫山戯をする事は出来ない事情もありますが、
それにしたって本作は過去の作品と比較しても、
鋭利な何かを、
それもエグい角度で、
深く深くに突き刺す様な展開が多いのですね。
そこが素晴らしく、見事に私に刺さりました。

ただまずこの作品についてここで再確認したいのは、
主人公にとっての核は間違いなく例の実災害なのですが、
災害の物語と一言で言うよりかは、
過去では無く現在とこれからに焦点を当て、
かつその上でファンタジー寄りに仕立てた"物語"であるという位置付けである事であり、
例えば夏休みの小学生が8月6日に登校して視聴する教材となるような物語とは少し違う気がするというところも踏まえた上で、
そんな物語として、私を突き刺した、という事を補足させていただきます。

※小説を、読んでいませんので、仔細がわからずこじ付けのような妄想を含みますが、それを含めて好きな作品ですので、私の中での作品の完成のされかたについての話です。


・ダイジン(右大臣:ウダイジン、白猫)


本作では一見すると強く悪者としての描かれ方をしており、
主人公視点では「荒らし・嫌がらせ・混乱の元」のような行動を行っているように見え、
結果的にやって良い事と悪い事のラインを遥かに超えた事をしでかしているように見え、
さらにモノローグも無い為に、
何を考えているのか、
何をしたいのか、
その行動原理がわからない、
最後に助けてくれたからと言ってそれで過去の罪が許されるわけでは無い、
という印象の残念な位置付けになっていると思われます。
(考察含みますので、私としてもダイジンの全てを理解しているというわけではありませんが)

それなのに何故ダイジンの話をするのかと言うと、
「ダイジン」は「すずめ」と同じ
という話だからなのです。
ですので、すずめの話をするには、どうしてもダイジンの話をしなければならないのです。

かつて災害で親を失って絶望の淵にいた岩戸鈴芽は、実母の妹である岩戸環に「うちの子になろう」と言われ、引き取られることになりましたが、
本作の冒頭でもそれと同じように、岩戸鈴芽はダイジンに対して「うちの子になる?」と言っています。
(その言葉は、岩戸鈴芽さん自身が今まで言われた言葉の中で一番印象に残っており、かつ効果の高い救いの言葉であった事から、救おうと思った相手に対して自然と口を突いて出てきた可能性があると思っています)
これが本作の始まりです。
これを言われたダイジンは、初めて見た人物を親と思い込む生物が如く、その言葉通りに正直にストレートに岩戸鈴芽の子になるべくしての言動を開始するわけなんですね。

ここで状況整理します。
そもそもなんですが、本作の冒頭は宗像草太が宮崎県の地を訪れるところから始まっています。
本来であればその週に教員の試験があったはずのその大事な時期に。収入にもならない、モチベーション維持も困難であるような無茶な家業のために。です。
宗像草太の部屋の古文書にもあったように、また祖父の宗像羊朗も「“また“抜けてしまわれたか」と言っていたように、一定の周期で要石の封印は自然と緩んでしまうのでしょう。
なのでその一定期間毎に封印のメンテナンスを行う必要があるのでしょう。
であるからしておそらく、冒頭の宗像草太の来訪こそ、ちょうどこれを目的とした1週間や1日とずらすことの出来ない早急かつ重要な意味があるものだと考えられます。

よって岩戸鈴芽さんが扉へ近付かず、まして要石を抜く事がなければ、
抜けかかった要石は然るべく宗像草太によって再度封印を施され、東京へ帰りながら各地の後ろ戸のメンテナンスを順調にこなしていけば、
日本列島は(少なくともミミズに関しては)再度平和な数十年を約束されていた事でしょう。

ですが岩戸鈴芽さんは要石を抜きました。
要石の本人もその意味(自身の役割・抜けた結果訪れる災害について)は当然理解しています。
要石は要石であるので、役割に基づいて、今後について早急に対応をする必要があります。
元々から封印が緩んでいた状況が続いた結果、自然と要石が抜けていた可能性もある中で、
この後起こりうる事は、要石の抜けた西から始まり、そこから東へ向かって、開かれた扉から順次ミミズが飛び出して災害をもたらしてしまう事です。
人々を守るためには各地の扉を閉めてミミズを抑える事が必要になりますが、
それはあくまで一時的な対処に過ぎず、最終的に東では抑える事ができずに全身出てきてしまう、
ということはこれまでの歴史で証明されているのでしょう。
ですので、解決方法は一つ、もう一度要石を刺して再度封印を施す事以外に無いのです。

ところが岩戸鈴芽は、要石に「うちの子になる?」と声をかけてしまったのです。
これにより、要石は要石をやめ、ダイジンとしての在り方となってしまいました。
もしも、抜かれたタイミングで岩戸鈴芽が声をかけなけば、当然要石の言動は少し変わっていたでしょう。(ある程度は同じだとも思いますが)
要石が必要であると理解しているダイジンは、ちょうど近くに居た、それも閉じ師である彼へ次の要石としての役割を与えたのです。

そして要石からダイジンとなった彼(彼女?)は、行動を開始しました。
本来は要石での再封印を行ってから、各地の扉を閉めて回ることが必要なのですが、
本来それが出来るはずの閉じ師を要石に変えてしまったので、
岩戸鈴芽にその代わりを行ってもらう必要があります。
各地の扉を閉じてミミズを抑える事も必要なので、ここで要石となった宗像草太をブッ刺せば終わりという訳でもないのです。

つまり、
ダイジンは、今から開かれそうになっている扉の場所へ、
岩戸鈴芽と鍵を持った宗像草太を順次誘導し、
各地の扉を閉じてもらいながら、
最終的に東の果てで飛び出してきたミミズへ、要石をブッ刺すよう、
誘導を行っていたわけなんですね。

とんでもない、誘導だと思います。
とても、真似できない。

さらに、ここで要石のことを思い出してみましょう。
要石としての機能を果たす事になった宗像草太に対し、祖父の宗像羊郎は、長い年月をかけて少しずつ神になるという旨の事を言っていたように思います。
つまり、要石は神である。
けれど、神になる。
もとい、神に、なった、という解釈もできます。

ダイジンとは何だったのか?

サダイジンの方を思い出すと、その精神性は、ウダイジンとは全然違うという事もわかります。
これは明言されていないことではありますが、
もしもダイジンは幼い精神性の中で、
あるいはもしも両親を失ったばかりの鈴芽と同じ境遇であったとして、
そんな中で、人々を守るための人柱として、
かつて要石にされた幼い子供だったとしたら。

岩戸鈴芽の「うちの子になる?」という言葉の重みが、とんでもない事になりますね。

椅子草太さんが要石になって岩戸鈴芽に糾弾された時のダイジン、「鈴芽…、好きじゃなかった…」と萎れていくところを見るに、「好き」が欲しかったんでしょうね。
愛されたかった。
ということは、好きとか愛を貰えなかった子供だった、と考えると、
あの、

痛みますね。

(終盤、「(草太さんが要石になるくらいだったら、)私が要石になるよ!」と言い放った岩戸鈴芽さんに、「いやっ、そ、それは私の『鈴芽の子』になるという行動原理の大前提が崩れちゃうので、流石にそれは違うから、待ってほしい!私を救おうとしてくれた鈴芽にそれはさせられないので、やっぱり私が要石に戻ります!」って感じで要石の草太を引き抜く手伝いをするダイジンちゃんへの感情がね、はい、、、、)


・岩戸鈴芽


さて、今作で1番語りたいのは、大好きで大好きな岩戸鈴芽さんについてです。
容姿の話は上記で書いた通りですが、作品に触れる上ではその精神性の話になります。

上記のダイジンの話で言えば、どちらかと言えば岩戸鈴芽こそが元凶(要石の引き抜き、ダイジンへの声かけ)である訳ですが、
彼女には悪意や害意は無く、それはただの失敗に過ぎないのです。
現に彼女は、自分のしでかした事の重大さを理解し、罪悪感を感じて謝罪し、責任から逃げる事もせず、最後の最後まで普通の女子高生が背負って良いレベルじゃない責任を果たし遂げました

冒頭から整理しますが、
幼い岩戸鈴芽は、大災害で両親を失っています。
「おかえり」が言えない、「ただいま」が無い「行ってきます」、を知っています。
つまり、人というのは、人の人生というのは、何の脈絡もなく、ある日突然に、理不尽に、暴力的に、何もかもを奪われ、潰され、台無しにされてしまう、という事を知っています。

作中の各所で確認できる言葉ではありますが、岩戸鈴芽は一切の迷い無く「死ぬのは怖くない」と言い放っています。
果たして、普通の女子高生が一切の迷いなく「死ぬのは怖くない」と言えるのかどうか、という話です。
勇敢な主人公が、渾身的な主人公が、誰かを守る事を生き甲斐にしていそうな主人公が、安っぽくよく言いそうなセリフではあります。
普通の女子高生が言えば尚更、もっと安っぽくなりそうなものです。
ですが、岩戸鈴芽には、それが言えてしまう根拠があります。
彼女は知っています。
いつなんどき、あるいは突然明日にでも、人は、死んでしまうかもしれない。
当然、自分自身もそれは例外ではない。
生と死は、運である、と。
岩戸鈴芽は、その可能性と常に向き合っています
一秒たりとも目を逸らしていません
他者と普段通りに生活を送っていながら、
いつでも死と隣り合わせで生きているのです。
その人生の境遇から、その魂に、生の裏側に確かに存在する死を意識し、確かに抱えて生きているのです。

なので、彼女は病的なまでに、怖いくらいに、
(明日死ぬかもしれないので、明日は無いかもしれないので)後悔の無いよう、今を精一杯に生きます』。
彼女は、決して立ち止まりません。
その脚は、もはや人生そのもの。
彼女はその人生を全うするかのように、
人生を精一杯走り切るつもりで、
その脚を止める事はないのです。

そこがね、痺れます。最高に。

彼女は狂っている。
彼女は生きながら既に、もう半分は死んでいるつもりでもある

その過去はどうしても否定しきれないもの。
今でも悪夢として夢に見るくらい、人生と魂に刻まれたもの。
だけれども、どうしても、その死生観は笑って微笑ましく、そういう生き方もあると見過ごせるものではなく、他者が軽々しくどうにか出来るモノでも無く、
それは事実通りに呪いであって、病気であって、
死と同じ重みの、生を送る、
そんな『死=生=呪い=病気=人生』を体現したような生き様を見せられてね、
正気でいられる筈もない

私も狂いました。もう岩戸鈴芽の事しか考えられない。

当然でしょう???、こんなの????、ねぇ????

大変不謹慎で失礼ではありますが、あの、

岩戸鈴芽、可愛すぎるこんなの、、、、。


⚫︎岩戸鈴芽の『(死ぬのは怖くない)今を精一杯生きる(病的・狂気)大好きポイント』


※普通に可愛い岩戸鈴芽含む

★★すれ違っただけで一目惚れをした男の子の事を想い、学校を遅刻してまでも会いに行こうとする
(それも、少しの距離ではなく、行って戻ってくると昼休みになるレベルの長距離。山を一つ越える距離。頭おかしい)

★足を止めずに、“一切の躊躇なく“立ち入り禁止の看板をハードル走のように飛び越えてしまう

★廃墟の温泉街にあった扉が気になって、靴や靴下が濡れる事を一秒すら気にせずに、“躊躇なく“容赦なく水の中に足を踏み入れる

★★★目の前で困っている人を見て、瓦礫に当たって死ぬかもしれないのに、事情はわからないけど扉を閉めるのを手伝う岩戸鈴芽さんの「閉めなきゃいけないんでしょ!ここ!
(BGMも相まって作中で大好きなシーンとも言えます)

★所持スマホ1つだけでフェリーが進み出しても、知らない土地の愛媛でも一切戸惑わない岩戸鈴芽

★★★愛媛の中学校で「死ぬのが怖くないのか?」と聞かれて「怖くない!」と即答する岩戸鈴芽

★椅子草太にキスをしようとした時の「口が無いじゃん」
(→つまり口があれば容赦なく、同意なく、一切の躊躇なく、即キスしてたって事? 意志と行動力おかしいですよ…)
その後、神戸でも普通にキスしているし…

★食い意地というか、何気によく食べる(食べているところの多い)岩戸鈴芽
美味しいものを食べると泣くレベル。食事という生きるための行動に本気で向き合っていて素晴らしいです

★子供みたいに「私も!」って椅子に座ろうとする岩戸鈴芽

★★★突然許可なく、椅子に座る(好きな人の上に尻を乗せる)大胆すぎる岩戸鈴芽と、その後の作中屈指のエロすぎる流し目

★足をパタパタさせながら椅子草太と話す岩戸鈴芽

★★★椅子草太さんにキスしてた岩戸鈴芽さんの、エロすぎます

★一見ギャグにも見える「新幹線早いね」「富士山見逃しちゃったんじゃない…、ほら」「見たかったな…(カツサンドを頬張る)」、
明日死ぬかもしれない可能性含めて今絶対見たかった、くらいの気持ちで言っているかと思うと、鈴芽さんさぁ…って頭抱えます

★★宗像草太宅で段ボールを取る際に、椅子草太さんの上に乗った後に嬉しそうにトントン足踏みをする岩戸鈴芽さん可愛すぎます
聞かれる前に女子高生に踏まれる宗像草太さん、というフェチ度もとんでもないですね

★★★御茶ノ水でミミズに乗った草太さんを追いかける時の岩戸鈴芽、道路を横断する際に車にクラクション鳴らされても一切その足を止めず車の方に一切視線を移さずに、対岸の歩道まで走り切る。
また、橋からも躊躇なく飛び降りる様は覚悟が決まり過ぎている。
無茶苦茶すぎます
ここで死ぬならここが寿命だし、生きていれば椅子草太を追いかけるという、限界のような人生の二択を選んでいる感が凄くて、本気で洒落にならないです
「勢いのある主人公」という単語でまとめられるものではなく、ある程度そこに根拠があるのが更にやばいです
これが岩戸鈴芽
まさに、岩戸鈴芽ここにあり、というシーンですね


作中で1番頭おかしいと思うシーン、かつ大好きなシーン
★★★★★★★作中で、1番問題のシーンなんですが、
東京ミミズの上でダイジンが
「ミミズが落ちて、地震が起きるよ」
「ふふっ、今から沢山、人が死ぬ」
「要石、ミミズに刺さないの?」
「だってミミズが落ちるよ。地震が起こるよ」
「人がいっぱい死ぬね。繰り返すね」
と岩戸鈴芽を煽るのですが、
この『繰り返すね』、という『また人が死ぬよ』という言葉。
これはダイジンとしてはおそらく、舞台が東京であることと要石の視点から「関東大震災」である可能性が考えられるのですが、
岩戸鈴芽にとっては、自分の人生を大きく変え、両親を奪った「東日本大震災」の事を指すこととなり、
その上で、そのような大震災が繰り返されてしまうのかどうかというところの窮地に、
被害者である岩戸鈴芽自身が立たされてしまったという事になります。
更にそこに、大好きな人である宗像草太が要石になったという事実を突きつけられる
つまるところ、
自分としては絶対に繰り返されてはいけない災害があって、
でもそれを防ぐには、大好きな人を要石として刺し、大好きな人を失わなければいけない、
それは絶対に嫌、
でも、刺さなければ必ず地震が起こって多くの人が死ぬ、
自分みたいに両親を失う人だって出てきてしまう、
それは絶対に嫌、
という選択をですね、
それも“”“被害者(当事者)“”“にね、直接突きつけるわけなんですけどね、、

作者、、、本当に頭おかしいんじゃないか?????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????(最高の褒め言葉)

自分の生涯のトラウマと、大好きな人を天秤にかけさせるの?????
明日死んでも良い(仕方ない)ってくらいに人生観変わっちゃったその原因ともなるトラウマを、
しかもそのトラウマの現物をそのまま生モノの状態で突きつけて、
もう何も失いたく無い人に、確実にどちらか失う選択をですね、
大好きな人を、
でもそんなの、災害が起きる方を選択できるわけないじゃ無いですか、、、、、
こんな残酷な選択、どんなヒーローモノのヴィランでもなかなかできるもんじゃ無いですよ??????????
何考えてんですか??????????????????????
やばすぎません?????????

(でも、この後に「草太さんの居ない世界が怖い」と、初めて恐怖を覚えたような事を言うんですね。
岩戸鈴芽の人生に、生に、再び重さを与えるイベントなので、これは皮肉にも必要な事だったんですよね)


(作中で2番目に大好きなシーン)
★★★★★宗像羊朗との会話の後で、再び宗像草太の家に戻り、
主題歌を流しながら、シャワーを浴びて傷口と血を洗い流すフェチシーンを経て、
旅の最初からの、岩戸鈴芽の第1形態に戦闘服を戻すシーン

あまりにも、あまりにもカッコ良すぎませんか、、、
とんでもないカタルシス、、、
震えますね。

やっぱり最初の戦闘服というのは、かっこいいものです。
その上で、草太さんの靴という、最強装備をつけることで、
これが、岩戸鈴芽の最終形態、完全究極体
あまりにもカッコ良すぎますね。大好きです。
(やっぱり、主題歌が良すぎる問題もあります。おかしい、こんなの)


⚫︎その他好きポイント


★★ループものというか、最終的に最初に繋がる物語

★要所要所、鈴芽の近くを飛んでいる二匹の蝶(鈴芽の両親?)

★廃墟、素晴らしいです

★地震アラームの緊迫感

★★ミミズ初戦の、BGMのかっこよさ。ミミズ倒れる時のBGMもカッコ良すぎる。とんでもないです

★★★後ろ戸を閉じた後の、タイトル画面。主題歌。完璧すぎます

★作中にところどころある、鍵を開ける映像と、鍵を閉める映像

★自分自身(子供)と向き合う作品における、岩戸鈴芽の「子供のわがままか!」(応急処置を拒む宗像草太に対し)、「私、子供って無理かも」(神戸での子守)

★宗像草太、実はめっちゃ痛かった腕の傷

★椅子になった瞬間から喋り方が面白くなった宗像草太

★フェリーで走る椅子について問われた岩戸鈴芽の「いえ」(即否定)

★フェリーとは言え、外で普通に寝る女子高生。怖い。

★チカちゃんと一緒にみかんを食べている時の岩戸鈴芽さんの足癖の悪さ、絶対領域

★愛媛の宿、瑞々しくて美味しそうなご飯、食事

★★★チカと元彼などの話をしている時のBGM、作中で1番素敵。最高すぎます

★★★チカと昔話をしながら布団で寝るシーン。
寝るだけのシーンなのに、モーションキャプチャ使ってるくらいには、作中で1番動く。
何枚描いたの?ってくらい1番作画がすごい。
このシーンが1番バランスおかしい。大好きです

(描いてない?CG?)
あと、観覧車の中で振り返るシーンの作画

★★温かい言葉、優しい気持ち、助け合いで溢れていて気持ちが良いストーリーすぎます
岩戸鈴芽がきた瞬間に繁盛する宿も素晴らしい

★チカから貰った戦闘服第2弾、岩戸鈴芽第2形態可愛すぎます

★★岩戸鈴芽の百面相、可愛すぎます

★★スナックのお姉さん可愛すぎます

★ジェットコースターでダイジンを捕らえる時の椅子の機動力やばすぎます

★★観覧車の後ろ戸を閉める時の、岩戸鈴芽の「お返しします!」

★★後ろ戸を閉めたところからの、自然な、極めて自然にシームレスに移行する、2人きりの観覧車シーン。うますぎます

★神戸駅で帽子を与えられて、第3戦闘形態になった岩戸鈴芽可愛い。帽子被ってる女の子ってなんでこんなに可愛いのですか

★草太さんの耳元で優しく囁くような、「鈴芽さん、あっち」「右」「左」「そこ登って」「乗るよ、走って」のナビ、聞き心地良過ぎて脳溶ける。草太さんナビ発売して欲しいです

★様々なオタクを沼に沈めた芹沢さん

・芹沢「すげぇ鳥」

・扉を開け閉めする物語で、芹沢さんの車の扉は開けない岩戸鈴芽(跨ぐ)

★★★芹沢さんの車のプレイリスト最高、芹沢さんのクセのある歌い方も最高
私自身も、車を走らせた後に車内で真っ先に「ルージュの伝言」を流したことがあるので、あまりにも共感が凄くて映画館なのに声が出そうになりました(声は出てません)

★★芹沢さん、教師目指してて、なのに同乗者に許可も取らずに突然車内喫煙始める素行の悪さ、最高

★「このへんってこんなに綺麗だったんだな」の芹沢さんに、「えっ、ここが・・・綺麗・・・?」ってドン引きする、地獄を知っているから地獄跡にしか見えない岩戸鈴芽さん

★重い家族乗せてても笑ってる芹沢さん、屋根でずぶ濡れになっていても笑ってる芹沢さん
1人でソフトクリーム食べながら、UFOキャッチャーしてる芹沢さん

★屋根の機能が壊れている車が、事故に遭ってから直るように、
サービスエリアで、岩戸環と岩戸鈴芽が喧嘩した後に、自転車に乗り換えて仲直りする。
そんな、衝撃で、何某かの詰まりが取れて物事がうまくいく感じの流れ

★パンクしてそうな自転車乗って20キロくらい走る岩戸環さん

★★★椅子草太さん視点で岩戸鈴芽に流れる記憶と感情。感動的なシーンだけど、やはりフェチすぎてすごい事になってますね

(作中で大好きなシーン)
★★★椅子草太さんが要石になる際
「これで終わりか…、こんなところで…、でも、俺は君に会えたから…」
という言葉を残し、
今から消えゆく人が、でも自分の死を正当化するような、
最後に嬉しい事を思い出して良いところを言って終わるような綺麗な消え方をするように見せておきながら、

でも要石を抜く際に流れ込んだ感情ではその続きがあり、
君に会えた”のに”!」と言っている。
「消えたくない、死にたくない、生きたい」と言っている。
やはり死や終わりを綺麗に飾ろうとするのは残された人視点のエゴのようなものであり、
やはり当事者は、嫌だと、死にたく無い、終わりたく無いという、とても人間味あふれる叫びがあって、
やはり、こうなのだと。
ここにリアルがあって、、
というところを思わされるので、素晴らしいシーンです。
草太さん視点で今まで出会った人との思い出のシーンのが回送されるところでは、流石に泣きました

★子供の岩戸鈴芽、母親探して人に聞きまくったせいで、母親の特徴や説明があまりにも端的にスラスラまとめられ過ぎていてつらいです

★岩戸鈴芽から子供鈴芽への言葉。貴女は親を失ったけれど、決して独りではない。貴女の周りには貴女を助けてくれる人が居る。貴女には明日がある、それを自覚して安心して明日を迎えていいんだ、という、
岩戸鈴芽は、過去の自分に明日がある事を伝えているんですね。そんな、大事なシーンです。
伝えられた子供鈴芽は、結局「私には明日が無い」くらいの姿勢で生きていくわけですけど、
大人鈴芽は、ようやっとこれからは、これからも明日があるんだと意識して人生を送っていくことが出来るわけです。
良かったですね。


⚫︎その他、気になるポイント


・岩戸環や友達は方言があるのに、鈴芽は標準語

・映画館で「イケメンの人ー?」「これじゃナンパか・・・」で声出して笑ってた隣のオタク

・映画館で、とびらを見た時に「あれは・・・!扉・・・?」と声に出していた隣のオタク

・ミミズを見て飛び出した、鈴芽の食べかけのお弁当(その後、1週間放置)

・無意味に学生の周りを2周する椅子草太

・愛媛でも学生服のまま過ごしていたけど、冒頭の廃墟で濡れたローファーってまだ濡れてると思います。
ローファーの中、相当ヤバそうですね(気になります)

・視聴者を驚かすためだけに、作者も食べたこともないわけわからない料理を出さないでください…

・スナックのダイジンを見た時の感想、「初めての人やね」「渋めで素敵やん」は、お姉さんが酔ってるからそう見えるのか、ダイジンは人によっては、人間に見えるのか、あれってどうなのですか、

・激突しただけで、変電設備は起動しないらしいです(遊園地)

・映画館で、古文書を読んでいるシーンで「あ、関東大震災だ・・・」と謎が解けて声に出てしまった隣のオタク

・岩戸環さん、指摘するような問題点も無く、純粋に鈴芽を心配してるだけなのにあまりにも可哀想すぎます
高速道路でずぶ濡れにもなるし、ちょっとね。。。と思います

・サダイジンの環さん洗脳みたいなの、何です???(お互いの意見交換のための感情の増幅みたいなものだと思うけど・・・)

・芹沢さんも、結構可哀想。振り回されるし、車は壊れるしで…

・最後の最後のシーンで、宗像草太と岩戸鈴芽の2人で要石を刺すシーンで
「お返し申す!」と「お返しします」の声が重ならなかったの、凄く残念でした

・ラストの再会のシーンは、なんとも、とりあえずの再会演出みたいで、何の感情も湧かなかったです

・岩戸鈴芽がどうして宗像草太を好きになったのかわからない。逆に宗像草太もどうして岩戸鈴芽が好きになったのかわからない。
宗像草太視点では、同じ旅の中でだんだん・・・という理屈はつくものの、決定打がわからない。
岩戸鈴芽は、やはりその死生観、その在り方から
一目惚れという言葉を使うしかないし、それ以外の納得はない
のですが、
一目惚れという単語はそれだけで完結していてそれ以上では無いので、なんとも、黙るしかないですね。
(過去に常世で見たことがある、という接点はあるものの。それは恋愛の説得力にはなり得る感じではなかったように思うので)

・エンディングの主題歌はどういう訳かあんまり好きになれなかったです。
終盤の「どんぶらこ どんぶらこ」みたいなリズムが、何故か肌に合わなかったです。

コーラを飲ませていただきたい。コカの。