ペラッペラ人生:専門学校の生活1

専門学校に入り、一番最初の授業でコンビを組み、そこから初めて僕の芸人生活がスタートした。

正直ワクワクした。同期14人とお笑いについてたくさん話しした。

僕らの中でメインとなる授業は毎週木曜日の松竹の作家さんのネタ見せの授業だった。

その授業だけはみんなガチネタを放り込んでいた。

いや、他の授業でもちゃんとやれよって思うでしょう?

ちゃんとやるような授業が当時はなかった。

とある先生の2コマぶっ通しの授業、1コマ90分なので、3時間の授業。

それは最初に適当にお題を貰い、2コマ目の最期にそのお題で即興で作ったネタをする授業。僕らがネタを作っている間、講師は漫画読んだり、知人と電話したりしている。講師が「よし、やろうか」というのは授業の終わる30分前。どんなネタをやっても「うん、いいと思う」しか言わない。

お笑い芸人なりたい人なんて、実力関係なく1年目2年目は尖っているもので、僕も例外なく尖る、というか生意気で好き嫌いがはっきりしていて、その先生の事は知らないし、なめきっていた。

ずっと「うん、いいと思う」しか言わないので、決して笑えない下ネタやここでは書けないようなことをお題に沿ってやった事がある。

「よくないと思う」って言うと思ったが「らしさがあって、いいと思う」と言われた。下ネタなんかやった事もないし、その先生の前で下ネタも道徳に反するようなことも言ったこともないのに、らしさがあると言われた。どこまで適当なんや。

実力はないけど、舐めた態度をとったり、尖り散らしていたり、今思えば僕の同期はそんな奴が多かった。僕が一番そうだったかもしれないけど。

同期はお題を10回言うだけのネタでもなんでもないこの世で一番価値のないものを披露していた。が、「いいと思う」と言われていた。

今、その先生は学校にはいない。当然だ。探せばきっとこんな先生がいる専門学校もまだあるんだろうな。

ということで、僕は週15コマあった授業でしたが、4、5くらいしかちゃんと行かなくなった。


話が逸れましたが、木曜日のネタ見せ終わりは芸人コースでご飯に行くというのが日課になった。

みんなご飯食べて、今日のネタはあーだこーだ喋り合うやつ。

楽しかった。今思えばだいぶイタい会議だっただろう。1年目そこらのやつらが分かった口を利く会。


ゴールデンウィークを過ぎてから相方あつしとの仲は合わなくなっていった。

初のネタ見せの授業の時に書いていたネタは正直よく分からなかったし、そこからネタ帳に書いていることはラクガキのようなものばっかりになっていた。

なので、仕方なく僕がウケることだけを意識したどこかで見た事あるようなネタを書くことになった。

とにかく滑りたくなかった。今スベってもなんともないけど、当時はメンタルプレパラートだったので、とにかく少しでもぼんやりでもウケたかった。

きっとあつしはそれ嫌だったんだろう。ツッコミがボケに『あぁやって、こうやって、いや、間が違う、それじゃウケへん、もう1回やって』とか言われるの腹立つんだろう。

けどなんとなく、ウケてはいた。学校内ではあるけど。インディーズライブの存在も、オーディションライブの存在も徳島の田舎者は知らなかったので、学校であるイベントのみ頑張った。

学校での他コースの友達も自分で言うのもなんやけど多かったと思う。それもあってか学校内のイベントではウケていた。だからなんとかやってくれていたのかなぁとも思う。

あつしはヤンキーが好きでヤンキーになりたい奴だった。

俳優コースのヤンキーっぽいやつとスロット行ったり、パチンコ行ったりするのが大好きな奴だった。

僕は昔からヤンキーが嫌いだった。金とられた経験もあるし。

そういう部分から微妙に合わなかった。面白いと思うものの基準も全然違っていたと思う。

飼っていた魚の水槽にビールを入れるような奴だった。

ネタ見せの授業もほとんどこなかった。

遅刻もすごく多かったし、ネタ合わせしようっつって13時に待ち合わせしたら18時に今日無理やわって連絡が来るような奴だった。


あつしだけではなく、専門学校は全体的にぬるかった。


続く

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