見出し画像

名探偵ピカチュウ大好き

タイトル通りです。

金曜ロードショーで今日やってましたね。

僕の大好きな映画なんですよ。いや、ポケモンが好きすぎて、好きすぎてたまらない花岡少年の心を何発も重たい何かで殴られるくらい映画スタッフさんのポケモンに対する愛が見えすぎていて、だからこそ大好きな映画なんですよ。

きっと僕と同じでこの映画のスタッフさんは、ポケモンのゲームはもちろん、実際この世にポケモンがいたらどんなだろう?という想像を、妄想を、何回もした経験のあるスタッフさんであろう。

僕ももちろんその想像は何回もした。

決まって僕の相棒はオニドリルだった。

オニスズメの頃からの相棒だ。

僕の横にはとても立派になったオニドリルが飛ばずに地面に降りていて、首を僕に向けて、顔をスリスリしてくるのだ。その首を僕が腕を回すように抱き、オニドリルの頬をポンポンとスキンシップをとるのだ。

飛ぶときは僕がまぁまぁ大きくて、ほぼ伝説ポケモンサンダーと同じ身長、体重なのでオニドリルの背中には乗れない。だからあのたくましい足でカバンを持ってもらいぶら下がって空を飛ぶのだ。

闘う事はそんなに好きじゃないけど、戦いを挑まれたらどろかけ、すなかけで目を潰し後ろからドリルくちばしで穴をあける卑怯すぎる戦略で戦い、その場から空を飛んで逃げるのだ。

寒い日は羽根で温まり、僕も体温を分ける。暑い日は水をかけてあげる。オニドリルは羽根を羽ばたかせてその水をミスト状にして周りに涼しい風を届けるのだ。

今もこのnoteを書いている横で画面をつついて邪魔をしている。

飽きたらベッドを占領して首も羽もすべて畳んで丸くなって寝ている。体の下には僕のまだ畳んでいない洗濯物があり、片づけること出来へんやん!といいながら横で僕も丸くなって寝るのだ。

ずっと一緒だよオニドリル。


学生の頃はこっそりnoteに同級生が使っていそうなポケモンを想像して、似顔絵とそのポケモンを横に書いたりしていた。

未だにその想像はたまにしてしまう。もうかれこれ20年以上その想像は続けている。無意識に横にポケモンが見えてしまうのだ。歳を取りその想像は少なくはなってきたが確かに僕の目にはポケモンがうつっているのだ。


この名探偵ピカチュウという映画はそんな気持ちを思い出させてくれる。特にエンディングはエグい。

当時100円でポケモンの指人形を買いまくってたり、ゲームでくさむらを歩き回り、出会ったポケモンを数え、何%で何と出会うかをまとめたり、「かたくなる」ばっかり使って、トレーナーやジムリーダーが使ってくる技を4種類全部調べた自作の攻略本を作ったり、関西弁を喋るマダツボミが相棒となりチャンピオンを目指す漫画を描いたり、エビワラーとサワムラーが主役の漫画を描いたり、ゲームボーイの電池が切れて結構レベル上げしたケンタロスがまたレベル23に戻っていたり。年賀状では丑年はケンタロス、辰年はギャラドス、巳年はアーボックの絵を書こう!とか考えたけど、年賀状とか出したことないやと思いとどまったり。

あの当時のままの、小学5年生の僕に戻してくれるエンディングなのだ。


あの時友達はジュゴンに乗って川を渡り、畑に埋まったナゾノクサに驚き、いじめっ子はスピアーに追いかけられ、担任の先生はスリープに眠らされて、授業は自習に、夕日を背に飛んでるプテラを追いかけ、フーディンに宿題をやってもらって、プリンの歌を聞きながらプクリンのお腹で眠っていたのだ。

当時はそうだったのだ。


年齢は重ねてしまったけれど、あの当時の思い出は色あせず、いつでも開けることのできる引き出しの割と手前の方で眠っている。

名探偵ピカチュウを見るたびにその引き出しは開けられ、何度も何度もセンチメンタルな気分にしてくれる。そして、今日も木陰にサッと隠れるポケモンの姿を目と頭で追ってしまうのだ。

YUMENARASAMENAIDE



花岡ショー

ここから先は

0字
素敵な情報やくだらないことまで、基本的にポジティブで明るくなるような話題でやっていきたいです(笑)

マガジン購読者になると、基本的に毎日更新される記事(無料記事含む)を読んでいただけることになります。有料記事でしか読めない心の奥底までさら…

このご時世、サポートが励みになります。損はさせません。だって俺だぜ?