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ペラッペラ人生:陰キャから陽キャへ②


この記事の続きです。まずはこの記事をお読みくださいー!

小学1年生でファミコンという最強の陰キャ育成用具を手に入れた僕は

赤石組が外で野球したり、スーパーで遊んだりしてる時に僕はマリオ3で笛ばっかり吹いてました。

その時の赤石組は幼稚園の頃とはメンツが変わってました。Y野が引っ越しで、違う小学校へ転校していったのです。

これは大林組、赤石組どちらにとっても大事件でした。

幼稚園の頃はこのY野に勝てるやつはいませんでした。

四月産まれってだけでもう、強いんです。5歳の中の7カ月の差はでかすぎる。

体格も違うし、Y野は運動神経も抜群だった。これは大人になってもそうやけど。単純に僕が運動絶望だっただけ。

とにかく僕の30年前の記憶が正しければみんなY野におびえていたし、Y野が右と言えば右やし、左と言えば左。

赤石組はみんな慕っていたし、大林組はもちろん怖がっていた。Sだけは親同士も仲良くて、本人らも仲良くしていたイメージ。

僕はもう全然苦手でした。何かされたわけじゃないけど、当時のY野の眼中には僕の事なんか映ってすらなかったと思います。


そんなY野が引っ越し、赤石大林合戦は一時休戦となった。

とくに劇的に仲良くなることもなく、ちょうど、大林と赤石の間に小学校があるため、通学も帰る道も逆になるので仲良くなりようが、なかなかなかった。

赤石はやっぱり都会だし、土曜日に発売されるジャンプもおかんに車に乗せてもらって本屋に行かなくても、徒歩で購入できる店まで行けるのが赤石なのだ。

勝てない、、僕は小学2年生の誕生日で買ってもらったスーパーファミコンのコントローラーを握りしめ、クレヨンしんちゃんのゲームがくそげー過ぎて泣くしかなかった。Xボタンでジャンプするって…Bボタンやろ普通…

そんなこんなで僕の中で、赤石組とか仲良くなれんなぁ…って思っておりました。


しかし、36歳になろうとしている僕が今でも仲良くしている友達に大林組はSしかおらず、あとはほとんど赤石組である。

それはなぜか。

もともと大林組は内戦もあり仲良くなかったというのもあるが、一番の理由は

小学校3年生の頃の自転車検定で、自転車に自由に乗れるようになり、行動範囲が広がり、赤石という都会にまで遊びに行けるようになったからである!!!!

この自転車という存在は僕の中ではとてつもなく大きく、36歳になった今でも自転車に乗りまくっている。

自転車に乗れるようになり、赤石の子らとも遊ぶようになり、赤石流の外で遊ぶ遊び方を覚え、みんなで遠くの山に行ったり、海に行ったり、秘密基地作ったりして、気が付けば僕は『花たん』と呼ばれるほど仲良くなっていた。

しかしゲームは好きやし、明るいみんなと違ってまだどこかインキャな僕がいた。自転車を手に入れて少しだけは社交的になったかもしれない。けどまだまだドンキーコングが、マリオが、ヨッシーが、僕の後ろ髪を引っ張るのだ。

ちょうど中間をさまよっていた。しかし、赤石とのわだかまりはとけ、赤石勢が大林にきて遊ぶことも増えた。

赤石大林合戦はここに終戦したのである。自転車のおかげで。


そんな時に事件は起こる。

小学4年生になるころ、あのY野が引っ越し先から親の都合で帰ってくるらしい。というのを聞いた。

ガキ大将の威張り散らしていた、4月産まれのY野だ。

せっかく終戦したというのに、また戦争は始まるのではないか…。

まず僕の事覚えてもないんじゃないだろうか。眼中に入り込んだことすらなかったのに。またみんな怯えるのか…赤石のやつらも少し顔が曇っているように思えた。



そして、噂通りY野は帰ってきた。


担任の先生が紹介する。

『幼稚園から一緒だった子は知ってるよね?Y野君がこの度帰ってきました。Y野君何かありますか?』

Y野が口を開いた。

『みなさん、お久しぶりです。』

お久しぶり??ものすごく柔らかな物言い。

Y野は幼稚園の頃からの高身長はそのままに、顔は小さく、4月産まれの落ち着きなのか、自分の市よりも、赤石なんかよりももっと都会の街へ引っ越ししていたからか、大人っぽくなり、ガキ大将だったころの面影は消え去り、ただのイケメンになっていた。

少し照れたような、はにかんだ顔で席についていた。

全員がガキ大将の傍若無人なY野を想像していたため、女子はギャップ萌え~とここぞとばかりに目がハートになっていた。

運動神経も健在で、いまだに100メートル走小学生記録は僕らの地域ではY野が保持している。らしい。


イケメンになっていても、僕はY野が怖かった。

当時の思い出があるから。大林組はもちろん僕なんか勝てる要素がなかった。絵のうまさだけはめけてなかったが、幼稚園の時に『絵がうまくたって何にもならん』と思わされていた。

みんながちやほやY野の席の周りに集まり、ワーワー言っているのを横目に僕は自由帳にドラゴンボールの絵をかいていた。

「ガキ大将ではなくなったものの、この構図は幼稚園の頃と一緒じゃないか。何も変わっていない。」とぷんすかしていた。

実は、本当は輪に入って話したかったが僕はそういうのが本当に苦手で、みんなが集まるものを毛嫌いする性格は昔から何も変わっていないのだった。

モヤモヤしながら絵を書いていると、Y野とその周りのちやほや族が一気に動いた。


運動場にでも行くそうだ。

僕の席の横を通るときY野が僕に

『花岡くんやんな?久しぶり。相変わらず絵うま!』と言い、みんなをつれて教室から出ていった。


もう惚れていた。

絵の事も覚えていて、何より僕はY野の眼中に入っていたのだ。

それが嬉しかった。

赤石組にY野も加わり4年生からはほとんど、赤石組と過ごすこととなっていく。

Y野は中学3年、高校3年で同じクラスになり、卒業する最後の年を一緒に過ごした中。

仲良し七人組のなかで2回3年生一緒だったのはY野だけだ。

僕はY野のあの一言と、赤石組のみんなのおかけで陽キャになったかもしれない。


おわりぃ

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