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契約の先に

 数時間後、残っていたウイスキーをすべて庭に捨て、小屋に行っていくつか道具を取った。斧、熊手、大鎌。それから日が暮れるまで、祈りの木の周りの更地を広げ、茨や低木を取り除き、地面を平らに均した。翌日、小屋の板を引きはがし、アーヴィンの手を借りて祈りの木まで運んだ。日が暮れても作業を続け、更地を取り囲むように、さらに八つの十字架を建てた。どれも最初の十字架と同じ高さだった。「医者の連中は母さんの役には立たない」暗いなか家に戻っているとき、ウィラードがアーヴィンにいった。「だが、おれはがんばればまだ救えると思っている」
 「死んじゃうの?」アーヴィンはいった。
 ウィラードは少し考えてから答えた。「正しくお願いすれば、主はどんなことでも聞き入れてくださる」
 「どうすればいいの?」
 「朝になったらすぐに教えてやる。簡単なことではないが、それしか手はない」

ドナルド・レイ・ポロック 熊谷千寿・訳『悪魔はいつもそこに』

 最初に言っておくと、これはあくまで「感想」であってもしも「考察」が読みたいのなら他をあたるべきだし、もしも「答え」がほしいのなら知っていそうな人に聞くと良いでしょう。
 そうやって注意書きをしたくなるくらい、この文章は誤読にまみれています。
 一番最初に思い出したことを、冷静に見つめ直して再構成した文章になります。

これはRISA AIZAWA BIRTHDAY EXHIBITION〜CHiNOCHiGiRi~の感想文です。

第一印象は「哀しい」でした。
よからぬ何かとの契約では、誰も幸せになれない!!
でも……そうでもしないと手に入らないものが、ある!!

そのルールに目を向けることって、エンターテイメントでは結構ハードなのでは、とも思う。

私たちは、それを覚悟してここに集まっているのだから。
そして、それを意識することは、夢から醒めるギリギリに立つことでもある。



十字に並べられた写真からは、スティーブン・キングの『ペットセメタリー』や、ドナルド・レイ・ポロックの『悪魔はいつもそこに』を思い出したり。
どちらも血生臭いやり方で十字架に祈りを捧げ、生命のルールを無視したがゆえに悲劇的な破綻が訪れるお話です。

前回は非常に霊的なアプローチで、今回のライブは再誕生を意味する『Яe:birth』。
どうしても繋がりを感じずにはいられない、というか、繋がっているだろう、という感じで見てしまいました。
てことはやはり、十字架にかけた祈りの先は「再誕生」?
でもそれって、命のルールに反しているのでは?


「ルールを守らなければならないのか?」
ルールは基本的に守らなければならないものでしょう。
多くの人が快適に過ごすためにルールはあるし、それは定期的にアップデートしていく必要があります。
でも、それを飛び越えてでも叶えたい願いがあることは私にもわかります。
そうやって叶えた場合、きっとどこかで破綻する。
逃げきれたとしても、どこかで誰かにしわ寄せがいく。
それだけの覚悟が私にあるのか?
手に入れるだけの価値を見出しているのか?
私はずーっとそれを考えていました。



わかりません。
世界にはたくさんの選択肢がある中、この場に来ている。(めちゃめちゃ暑いのに!)
ってことは、それだけの価値や意味を見いだしているわけで。
とはいえ、絶対に思えるものも簡単に揺らぐのがこの世の常。
これしかない、と思い込んでいても、それが次の日には別の物とすり替わっていても不思議な事ではありません。
ならばいっそのこと契約を結んで選択肢をなくしてしまいたい。
支配して/されてしまいたい……とめちゃめちゃ飛躍した発想かもしれないけれど、それくらい切実な気持になることも、可です。

(ドリンクのメニューに「支配」という単語を見つけたとき、最初は「支配……」とうっとりして、次に「支配……?」となって最後に「支配……!」と覚悟を決めました)


右横の闇の中にある階段を降りると……


こんな空間が!
ゲームの隠し部屋みたいなワクワク感があります


最近読んだ『ドリアン・グレイの肖像』を勝手に思い出しました。


よからぬ何かと取引をして顕現する絶望的な美しさ。
よからぬ何か……とかぼかすと全体的に曖昧な感じになっちゃうので書きますが、たぶん悪魔的な? なんか、あれなんでしょうか(魔法陣のテンション的にそんな気がするぞ)
いやぁ~ちょっとすみません……私はそういうの純粋に恐くて
……
子どもの頃に見た悪魔祓いのドキュメンタリーが怖すぎて、あんまり迂闊に手を出していいものだと考えてないんですよね~~~。
あとは『ファウスト』とか? 『エクソシスト』もこえーし。

ねえ? 怖いし危ないから「悪魔と相乗りする勇気、あるかな?」って聞かれるわけじゃないですか。(じゃあ天使なら良いのだろうか? いや、天使は天使の理屈で動いており、人間の味方ではないのだ)(天使のような優しさが最適解とも限らない。そう、ドラえもんの『いたわりロボット』のように……)


悪魔との取引には確実に破綻が待ち受けていて、大きな代償を払うことは間違いが無いわけです。そもそも、その取引自体がフェアかどうかもわからない。
いや、しかし、それでも欲しい。欲しいと思ってしまうことそれ自体が既に哀しい。
それくらい魅力的なのです。



そう、そうなのよ。
ここまでグダグダ書いてきたけれど、全て魅力的なのよ。
でも魔術的な装飾がそれに手を伸ばすのに戸惑わせる……みたいな、超・個人的な話に過ぎなかったのよ!

でもね、それはいつだって選択をするときに考えていることでもあるの。
やれリスクがあるだ、やれ思ったより高いだ言っても最終的には「でも欲しい!」なんて買ったりするじゃない?
その究極が「血の契り」……もう差し出すものは血液だからね。命を維持するやつよ。
これ差し出すって相当な覚悟じゃない? 採血どころの量じゃないでしょ確実に。
でも欲しい。

この展示、なんだか優しいと感じた。
BGMもするすると頭の中に入ってくるし。写真の中の人も……もちろん上位概念的な恐ろしさを感じることはあっても、敵対者か、というとそうでもないし。
けれど、その根っこには悪魔がいる。



契約、その決断に至るまでを比較的ライトに、しかしヘビーに叩きつけられたという意味で、なんだかとっても良い時間だったなぁ、という後味でした。
作った人の意図とは違うかもしれないけれど……
……じゃあそういうわけなんで、指切りしましょう。

最後に……これは余談だけれど、もしも……もしもよ?
もしも、支配されるかどうか選べるならば……
私は、支配された方が楽だよな……と思うことも、ある。

いやいやいやいやいやいやいや

その先に何があるかわかんないし、たとえば「これから私だけに時間を使いなさい」的なね、言われたらそれは私だって嫌ですよ。
だから、そう、契約書をよく読むとかは大事ね。


あーなんか、『チェンソーマン』の第一部終盤をもう一度読み返したくなりました。

「マキマさんは俺より頭がいいでしょ? だったらマキマさんの言う事聞いてりゃ考えなくていいし……」「……疲れない」

『チェンソーマン』第81話『おてて』


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