ロマンチックすぎる言葉
心の中に浮かび上がる、相手に対しての言葉が、たまにものすごく真っ直ぐで生き生きとしている時がある。
そして、
こんなこと直接伝えたら恥ずかしいかも、と、普段ならなんとなくしまってしまうその言葉を、なぜかなんの躊躇いもなく伝えられる友人がいる。
その子と私は多分、生きていく上で大切にしているものが同じで、眺めている景色の中に見つけようとするものが同じだから。そういう相手にはロマンチックすぎる言葉もすらすらと届けられるのかもしれない。
文通を始めた。環境が変わり、今までのようにほぼ毎日は会えなくなってしまった大切な友人と。一緒に美味しいご飯を食べ、笑って悩んでたくさん話したあの頃を思い出しながら一文字一文字丁寧に字を書いていく。
大人になると、大好きな友達と毎日会わなくても別になんら支障はないことに気がついた。寂しいね、と時折何かしらのSNSでメッセージを交わしながらも、お互いが本気を出して会おうとしなければ時間は合わない。それが切なくて同時にどこか心地良かった。
手紙は全てが自分のタイミングだから良い。合わせなくても良いし、合わさせてしまうこともない。頭の中で考えた言葉を選んで便箋に書くことも、封をして送ることも、空いた時間で好きなように楽しめる。送ったら後は気長に待つだけ。自分が空いた時間でしたように、相手も好きな時に手紙を書くのだろうな、と思いながら。都合が良ければ案外すぐ返事が来て、向こうも忙しければ少し日が空く。届いた手紙を読むタイミングも自由。ポストを開けて手紙を手に取り一度座ることもなくすぐ開ける時もあれば、落ち着いてから読みたいのであえて機を待つ時もある。
今の時代では考えられない速度で会話が進められる、それが私が思う文通の良さ。
形に残る会話だから、最高級の美しさを詰め込みたいとついつい欲深くなってしまう。ちょっとロマンチックすぎたかな、と思いながらも私が書いた手紙に対しての返事が届いた。彼女からの手紙にも同じような美しい言葉たちが並んでいた。
テンポの良い会話の中にはきっと出てこない、味わい深くて濃厚な言葉の重みをしっかりと受け止めるために、何度も手紙を読み返す。彼女がどんな気持ちでこの言葉を書いてくれたのか、そこまで考えたい。どんな表情でこれを書こうと考えていたのか、そこまで想いを馳せたい。
ゆっくりゆっくり、またロマンチックな時間を作り上げていく。ちょっとくらい恥ずかしくても良いじゃない。2人だけの特別な時間だからね。