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「正しく生きているだろうか?」への答え

2年ほど前から隔週で通っているカウンセリング。カウンセリングの日は、なぜか雨の日が多い。
そんな今日は、自分の中のパーツとの話だった。

私には、「やりたい」と思うことがあっても反対されるのではと心配になってしまったり、言い返したくても自分の言い分は聞いてもらえないと口をつぐんでしまったりすることがよくある。

最近もそんなことがあったので、今日はそのことを相談した。すると「何かを思いとどまらせているパーツがあるのでは?」という話になり、そのパーツと向き合うことに。
(カウンセリングでは、人間はさまざまなパーツで出来ているとの前提で話をしていく)

今回のような自分のパーツを取り出して向き合うセッションは2回目だった。

セッションを始めて。
そのパーツになりきって、カウンセラーさんからの年齢や性別、生まれた時期、どんな役割を担ってきたのか、どうやってその役割を担ってきたのかといった質問に答えていく。

その過程で、子どもの頃に生まれた私の中の小さな私は、ずっと私のことを守るために一生懸命だったんだなぁと気づいた。

なんとなく、いつでもどこにいても「どう思われているだろうか?自分は正しい選択をしただろうか?何か言われないだろうか?」という不安があった。

でも、誰も、ほかの人の人生にちょっかいを出していいわけではないし、よっぽど反社会的でない限り、正しいかなんて誰も判断できない。
(かつ、他人ってそんなに人のことを見ていない…笑)

セッション後は、ぽわーんとした感じ。
でも、今日のセッションまで、「自分の」人生という考えは頭ではわかっていたけれど、今日、はじめて、「私の人生は私のもの」だとはっきりと自覚できた。

いろいろと考え事はある。
「正しい選択だろうか」と悩むこともある。
けれど、「正しい/正しくない」は、誰にとっての「正しい/正しくない」なのだろう?
これまでも、それなりに私が納得できる選択をしてきたけれど、これからも「これが私だ」だと自信を持って答えられる生き方がしたい。

今日感じた「自分自身を取り仕切っているのは自分」という感覚を忘れないでいたい。

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