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ハッピーエンドで心を撃て。

誰が何と言おうと、ハッピーエンドが好きだ。
映画も、ドラマも、ハッピーエンドのものしか見なくなった。
最後に残る感情が、ほっこり幸せな気分になるものが良い。

若い時は、綺麗ゴトみたいな結末を薄っぺらく感じていた。
人は皆、深くて奥の方に暗黒を抱えているもので、
そんな複雑な真髄をむき出しにするのがリアリティだし、
闇の美を切り取るのが文学であり、芸術だ。そう信じていた。

確かにそれは間違ってはいなくて、実際、やっぱりその通りで。
その後私は、人間の業や心の闇や裏の顔を、嫌というほど見ることになる。


血のような涙を流す人間ドラマや、
生きながら切り刻まれるようなホラーや、
想像を絶する衝撃のサスペンスも、
たくさん経験し、たくさん知った。
フィクションよりも、
現実はその何百倍も破壊力があるのだということも。

失望して立ち上がって、また絶望して。。。
その繰り返しをもう3周ぐらいした今では、
「それでも人は、愛おしい」と感じられる域までたどり着いた。
随分タフになったもんだ。

人間は皆、心の奥に残酷や悲壮の爆弾を抱えている。
わかっているのに、同じ過ちを何度も繰り返してしまう生き物。
それでも、やっぱり、人は愛おしい。と思う。

期待通りのめでたしめでたしで、エンドロール。
それが記憶から秒で消え去っていく霞のようなストーリーであっても、
エンディングは、ハッピーがいい。
「つまんないけど良い映画だったね!」と、
映画を終えて最初に見るのが、すぐ隣にいる人の笑顔であれば。
それが、私にとって最高のエンディングだ。

そんなことを思う、今日の世界。
どうか世界が怒りや悲しみや、恐怖のベクトルに向かわぬように。
人間だから怒ってもいいし、悲しんでもいいし、泣いても、叫んでもいい。
ただ、常に眉間にしわを寄せない世界が良い。
誰かの足音や気配に、息を潜めて怯えない世界がいい。
ひこうき雲を見上げて、自由に深呼吸できる世界がいい。
そんなことだけで、いい。

心が押しつぶされそうなこういう時、
エンターテイメントの力は偉大だと、いつも思う。
くそつまんないストーリーでも理屈抜きで、
すぐそばにいる人を笑顔にしてくれる力は尊い。

常々思っているのだが、戦いや対立のベクトルではなく、
テクノロジーを、戦闘意欲を失わせるように使えないものかなあ。
プロジェクションマッピングや、バーチャルライブや、
私たちが楽しんでいるエンターテインメントの技術で、
心の中にメッセージを訴えかけられないだろうか。
誰にでも大切な人がいて、かけがえのない思い出があって、
日常のなにげない暮らしの中に、愛と平和があるということ。
心を無くしているであろう最前線の彼らに、
届ける方法は、ないのだろうか。。。

もしも今、ドラえもんがいたら、どんな道具を出してくれるのだろう。
撃たれたらみんながハッピーな気持ちになってしまう銃とか?
落ちた場所が一瞬にして一面の花畑になってしまう手榴弾とか?
照準を狙った人や場所を、大好きになってしまうミサイルとか?

ドラえもんが居ない時代を生きる私たち。
できる道具は何かを、考えて、考えて、考えたい。

もしかしたら、世界中の人が順々に、
すぐ隣にいる人を全身全霊で笑顔にしていったら、
やがては、遠く離れた場所で怯えている人たちや、
命令に従っているだけの人たちへも、
巨大な波となって流れつくかもしれない。
その大きな力は、人類を、
まだ見たことのない世界に
連れて行ってくれるような気がしている。

青空がまぶしい日曜日の昼下がり。
そんな奇跡を信じながら、
今日もまた私は、ハッピーエンドの物語を観る。



バタフライエフェクト。
一人ひとりの、小さな祈りの羽ばたきが、
ひまわりが美しい、遠くの愛しい国に、
ハッピーエンドの竜巻を起こせたら。

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