4.富士山に登ったときのハナシ。
こんにちわ。
2011年に、都内はずれで1人で雑貨カフェを細々とひっそりとオープンしはじめたsaki&pekoと申します。
その後の出来事を綴ってまいります。
ちょっと横路。
かなり前!
2008年春、まだカフェなんか全く考えてない会社員時代の話し。
カフェとは関係ないように思うけど、関係あるのかもしれないので。
「富士山に登ってみたいな」
わたしは会社の飲み会で、なんとなく言った。
山登りもハイキングさえしたことない。
富士山が好きなわけでも何かで見たわけでもないのに口から出た。
するとある上司が「登ろう」と言った。
「オレ登山部だったの。海外の山とかも行っているんだよね」
エー!?
するとなぜか、話はひろがりいきなり人が集まり出した。
マラソンでハワイに行ってる上司、空手を教えている同僚、プロレスボクシング系の同僚やら、ラグビー部だった同僚、、、。
なぜかそういう猛者な男子同僚達が集まってきた。
なんで?
話は広がり、関西支店からも参加者があらわれ、富士山山頂で東京と関西が集合することになった。
そして静岡にある関連会社の方たちが、下山後にバーベキューを用意してお疲れ様会をしてくれるという、なんとも大変なことになり、、、。
わたしはひっこみがつかなくなった。
「まあ登れるよね」
わたしはお気楽に考えていた。
そして富士登山部という名前で打ち合わせ飲み会が始まった。
運動靴の種類、靴を覆うレッグウォーマー
モグラランプなどなど不可思議な道具の数々を用意するよう連絡が来た。
なぜこれが必要なのか??
富士山ハイキングなのに??
飲み会打ち合わせは何度もあった。
登山する並びのフォーメーションやら、酸素ボンベや、症状の話し。
「海外登山の上司だから」
そう思っていた。
わたしは勘違いしていた。
木や草花があると思っていた。
富士山はそういう山だと思っていた。
わたしはお気楽に勘違いしていた。
無理なんじゃね?
なんかそう思った。
けれど大事になり、ますます引っ込みがつかなくなった。
現実を知るのが怖くて、富士山情報は調べなかった。
大変だったら待ってればいい。下山すればいい。
いや、
行きと帰りのルートちがーう!!
そう。
戻れないように、上司がそうしたのだ!!ヒドイ。
けどね。
ほんと苦しくて大変だったけどね。
結局登った。
岩山を手をついて登る。
息も絶え絶え、酸素ボンベを吸っても治らない。
一歩進む片足を、両手で持ち上げて歩くなんて経験したことはない!
つま先の血豆がもはや感じなくなって、
死ぬ思いで必死についていき。
猛者達が何度も助けてくれ。
9号目くらいから、わたしは涙がとまらなかった。
9.5号目からは、恥ずかしげもなくワンワン泣きながら、みんなに笑われながら登った。
日の出も忘れられない。
あれは神の領域みたいで。
2008年は始まり。
あの時わたしはある種の何かと繋がったと思う。
それは後になってわかるんですけどね。
絶対研修にいれたらいいと、当時取締役に話したけど、「やだよー」といわれた。
ではまたね。