夜に見る夢のこと
私は子供の頃から多夢&入眠障害でした。
それはもう重度の筋金入りで、巷に溢れる「朝日を浴びる」だの「運動する」だのは、気休めにもならず、根本的に何か違うと思っていました。
だから最近、自分の息子の凹凸子育てを通じて、ADHDやギフテッドに見られる「脳の多動」や、眠くなるホルモンが出づらい現象を知り、当時の自分もそれだったのだろうと、腑に落ちた所です。
そんなわけで、これまでたくさん見て来た「夢」ですが、断片的に覚えている場面や画像がかなり多く、自分でも感心します。
古くは小学生の頃(30年以上前)に見た夢の一部さえ、まだいくつも鮮明に覚えており、そしてそれらの解像度も高く、おそらく、実際に目で見た思い出のそれと、ほぼ変わらないと思います。
これについては、少し前に知った「認知特性」というものも関係しているのだろうと、考えています。
私は「言語映像タイプ」という「脳内で映像をおこすのが得意」という特性を持っているようです。
昔から読書が好きで、物語文を読む時は、いつも同時進行で、脳内に映像を思い描いていました。かといって、特に読むのが遅いわけではなく、むしろ速い方かと思います。
得意だからそうなのか、無意識のトレーニングの末に得意になったのかはわかりませんが、この認知特性、なかなか当たっていると思います。
映画のように、ストーリー立てて映像を想像できるような事は、細やかに記憶することが容易なのですが、誰かの名前・学歴・ステータスなどの単純なるインフォメーションは全然ダメです、また、絵面をよく知らない事象を記憶するのも苦手です。
話が少し逸れましたが、「脳内映像化による記憶」が得意な私は、つまり、夢を鮮明に描けるし、それが強く記憶に残るという事なのでしょう。
それにしたって、時々不思議な感じがします。
こんなにも長期に渡り、鮮明に高解像度で思い描けるのに、実在しない景色や場面って、一体なんなんでしょうね…。「本当はどこかにあるのかな?」なんて錯覚するくらいの存在感です。
子育ての面から、発達について色々と本を読み漁り、また、色彩関係の仕事から、認知や心理・脳について本を読み漁り…というこの一年くらい。
その前には、精神世界に詳しい方とお話する機会もあって、図らずも、自分自身への理解や考察が深まる今日この頃です。