"私" と "私を私にするもの" と
幼馴染が結婚した。
広くて無限の選択肢があるこの世界の中で、一緒にいたいと思える人のことをお互い好きになって、結婚できるってとても尊いことだと思った。
とっても大事な友達だから、幸せそうな話が聞けてすごく嬉しい。おめでとう!!!
結婚式に呼んでもらった。初めて!
嬉しい。呼んでくれる友達が私にもいるのか。やったー!おめでたい。楽しみ。本当に祝福の気持ちでいっぱい。
でも、同時に気がかりなことがある。
キラキラのひらひらのドレスは着れない。
ヒールのパンプスは履けない。
着たくない、履きたくない。だけど、着れない、履けない。だから。
おしゃれなパンツスーツで行ってもいいかな?
せめてパンツドレスかな?
めちゃくちゃ服装で困ってます。
私 と 社会 がせめぎ合ってる。つらい。
「は?わがままじゃん?我慢しろよ?」
と、思われるのかな。
「主役は新郎新婦たちであなたの自己表現の場じゃないんだから…」
とか、呆れられるかな。
就活マナー!とかもそうだけど、私は男女の二択にぶちこまれることへの抵抗がすごくある。
特に最近。
「男か女に◯をつけてください」にも、うわーっと思ってしまう。
一応説明すると「私、女じゃないかもしれないのにな」というモヤモヤというよりも、「なんで男か女かしかないの?そんなに大事か…」という類のモヤモヤ。
幼稚園からの付き合いになる幼馴染だから、小中高校生時代とかを知ってる友達もたくさん来ると思う。親御さんとか大人もいっぱいいる。
だからね、ますます心配になるの。
「いやいや、昔はひらひらのスカート履いてたじゃん」
「髪も長かったことあるじゃん」
とか
「今まで 普通 だったのに急にどうした?」
「さすが海外に行ってた人は違うな〜」
とか。
昔と今は全然違う。
わけわかんないと思う人もいるかもしれないけど、これは本当に特に田舎あるあるだと思う。田舎のせいにしたら怒られるかな。笑
私、これから大学院で「若者の他者への理解の多様性は、どうやって育まれるんだろう?その点において家族って大事かな?」という研究をするんだけど、ある意味きっかけと帰結点はこういう田舎あるあるにうんざりしたところにあると思ってる。(※大学院ですること、うまくまとめられた!笑)
話を戻して、
やっぱり悔しいけど日本はジェンダーのあれこれに、まだまだ寛容じゃないと思う。特に、冠婚葬祭とかにおいて。
今まで 当たり前 だったものを見直すのは、困ってなかった人にとっては無意味だし難しい作業かもしれないけど、今少しずつ流れてるジェンダーの多様性を認める空気みたいなものは新しい価値観ではなくて、もともと存在していて見えないようにされていたものがやっとやっと気づいてすくい上げられるようになったってことだということ、忘れたくない。
新しい場所で、私は私の好きなように生きるのはある意味簡単だけど、私が存在してた場所で今の私の中の本物はこれだ!を見せて生きていくのは大変なことだなあ。
これから何度こうやって、既存のルールみたいなものと戦って折り合いをつけていかなきゃいけないんだろうと想像するとため息がでる。
結局私は100パーセント、世間の目 を捨てることは出来ないんだろうか。
元同居人に(全く違うシチュエーションで)言われた「誰に遠慮して生きてるの?」がグッさりと来ます。
それでも私は私だと思える日に、ちゃんと大事な日の服を選べますよーに。
大好きな幼馴染へ Happy wedding♡