公園で食べたバインミーがおいしかった。
実に9ヶ月ぶりの国外逃亡。
今年はアジア制覇ー!なんて意気込んでたのに結局弾丸で滑り込みの4カ国。笑
今回のタイ旅行は留学してた時のルームメイトと3年ぶりの海外旅行。
現地集合現地解散。あっさりしてるようだけどこれが私たちのベストバランスで、よく喋りよく笑ったなあ。とても居心地の良い存在だった。now and forever
そのあと1人でベトナムのホーチミンに降り立ったら、なんだか寂しかったな。
1年間の交換留学で得たものは、文字通り「海外で勉強する」という経験だけじゃなくて、出会った人間とか文化資本的なものと、自分とか社会とかを相対化する練習の機会と、自分が差別されたりすることを通して本物の多様性とは?の海にぶちこまれること、とかが本質な気がしてる。こういうのを総称してなんていうの?笑
「自分探しと、"生きてる" を実感するためにちょっと国外逃亡してきます。」
なんて、本当のような嘘のようなことを周りには言って出てきた。
私はいつも迷子だし、なんで生きるのか?でよく落ち込む。
好きな先生が「分かる!生きてるを実感できる感覚分かる!」とか言ってきて、にやけた。
私は人間であることが無理になる瞬間が度々来るから、自分のことを宇宙人だと思って生きようと思う時があるのだけど、そんな話を直接人にしたことはないのに、する前にその先生は「宇宙人になったつもりで研究しなさい」って言ってきた。もう宇宙人やで私。以心伝心。笑
私は日本が好きだけど、ジェンダーギャップ指数は121位だし、私が 男の人 だったら起きないことが起きるし、それが伝わらないし、細くて華奢じゃなければショートパンツを履くのは躊躇ってしまうし、人種で国籍を安易に決めつけるし、キリがないくらいしんどいニュースを量産する社会だと思う。
なぜそれがおかしくて、国際スタンダードにしなきゃいけないのか?と問われた時に、どういう風に説明したら 理解される のだろうか。
理想 の共有がされてない中で何を目指したらいいのか。
そんなことを、ホーチミンのカフェでベトナムコーヒーを飲みながら考えている。はやく議論したい気持ち。
「自分探しをしてくる」
なんて、わけわかんないこと言って、勢いで飛び出してやってきた東南アジアは、自分を探すには混雑しすぎている。笑
そしてベトナムコーヒーは私にはやっぱり甘すぎる。
「そんなに海外好きなら移住すればいいじゃん」
って言われるけど、ちょっと違うんだよな。
私の逃げてもいい場所であって、誰かに会う場所なんだと思う。
“意外と何でもできるじゃん”とか“こだわってたあれこれ、なくてもいけるじゃん” とかをじんわりと確かめて、また違和感に寄り添って生きていくんだよ。
ちゃんとしっかり愛しいを育んでいる。