セブンスター7ミリソフト
春休みが終わらない。
そう、世間は自粛ムード。
新型コロナウイルスがぬるっと奪っていった私たちの日常が恋しくて仕方ないし、今日まで日本社会がツケにしてきた大量のものたちを目の当たりにする毎日はしんどい。
4月。
引っ越して一年。
一年経って、全ての季節をイベントを経験すれば、人も場所も、ぐっと近づくものだと思っていた大2の私。そうでもなかった。
じゃあ、あなたはどこの人なの?、帰属意識はどこにあるの?と聞かれたら答えにつまってしまうし、たぶんここだろうなって。
大学院で過ごしたこの1年間は、豊かで愛しくてわくわくして苦しいものだった。たくさん感情をだすことができた。
考えていたはずのものをぶち壊してまた考える作業も、“もらう” ではなく “つくる” 作業も、楽しくて好きでたまらなくて、がんばるのが苦じゃないから、もしかして向いてるのかな。
先生の脱線した話を聞くこと、日常の出来事から普遍的な理論を見つけ出す会話、価値観の対立があること自体が社会だということ、学びだらけのM1だった。私の大事な大事なM2の時間も早く返して欲しい。
でも、あの研究科、3階のフロアで、こんな風に同じような時間を重ねられた人は本当にいるのだろうかと、心配になってしまったりもする。余計なお世話だけども、孤独だから。
帰属意識の持てない私に、何も持ってないんじゃなくて、何も持たないを選んできた私に、「すごいね」「尊敬する」「考えすぎだよ」をどうして言えちゃうんだろう。
無想像の暴力だし、理解しようとする営みの放棄。
あなたとはこれ以上踏み込みませんの多様性ごっこでしかない。
悔しくて、悲しいな。
人間が怖くて苦しくなることも増えた。
なんて、思ったけど、昔からかもしれない。言語化できるようになっただけ。私も無意識のうちに暴力を振るってるんじゃないか、振るったことに気づきさえしてないんじゃないか、のループに陥ってしまう。どうしてもそうじゃない人間でありたい。
私がいくらネガティブの再生産機になったとしても、「全然大丈夫!」を言う量産ロボットになったとしても「そのままでいいよ」をくれる人にも出会ったりするけれど、こわいよ。それをまっすぐ受け取れないんだ私。こわいと思ってしまう自分もこわいよ。
だってコンビニの駐車場で「セブンスター7ミリソフトで」を暗記させられて、500円握らされて、レジで唱えて、吸ったこともないタバコを手に入れられたら「ありがとう」ってお釣りの40円もらえる人間関係に、生きてる、と存在肯定をもらってたボロボロの大学生活だったから。
今、周りにはそんな人いなくて、プレミア会員じゃなくても、普通に一緒にご飯をたべて、勉強をして、相談に乗ってもらって、普通に返信が来る。眩しすぎる普通の世界だなって、人ごとみたいに生きてる。
そんな普通の世界に放たれてしまった私は毎日溺れれそうだよ。
健全な人間関係ってなに。誰か教えて。