
4月28日、カラフルな代々木公園を非日常にしないために🌈
今年も 東京 にて多様性をお祝いすることができて良かった🏳️🌈
私たちは好きな人が異性でも同性でもそれ以外でも、誰を好きになってもいいし好きにならなくてもよくて、みんなの 一緒にいたいと思う人と望む形で一緒にいられる権利が等しく守られなければならないと思う。
2度目のレインボープライドもアムネスティのフロートで歩くことができた。やっぱり私にとっては、当たり前の権利だよね という感覚が1番しっくりくる気がする。
平成31年4月28日晴れのち曇りの代々木公園は、去年と同じくカラフルで優しくてポジティブで、渋谷から原宿を歩く間も何人もの人と手を振りあって、ハイタッチして、ここは本当に日本なのかと思ったし、間違いなく最強にハッピーな空間だった。(一方で、名前の一人歩きとか、LGBTQへ理解がある企業をアピール みたいな現象に違和感もちょっとある)
去年と違うのは、私が当事者の話をそれなりに聴いてきたことと、当事者になりきれない私がいること。
本当の本当に8.5割くらい、「うわ〜〜分かる!」「言語化するとまさにそれ!」と共感の嵐が起こるけど、確信の持てない何かとか、「私なんかが当事者ラベルを貼っていいのか」というよく分からない遠慮とかがあって、いつまでもふわふわしてる。
でも、分からないなら「今は分からない」でいいと思った。
ラベルを貼ること、女の子っぽい服装はしないこと、ショートカットをキープすること、多様性は大事だよと叫ぶこと、しんどさを比べること、やりたいならやればいいしやらなくてもいい。全部白黒つけて いつもどおりの私 に組み込む必要はたぶんない。大事なのは外枠じゃなくて、中身なのに、手段が目的みたいになってた。
やっぱり私は他の人にはなれないし、本当に“理解”することは出来ないわけで。他の人も私にはなれない。イベント中思いがけない時に「あなたはあなただよ」と言われた。違うのはごく当たり前で、みんなちがってみんないいなんだよな。と。
セクシュアリティだけでなく、全ての多様性を祝福できる社会でありたいし、これは私の譲れない価値観であり最優先課題だな。(研究計画練り直し段階なもので…笑)
昨日今日だけでも、誰かのことを想ってるから感じる悔しさとか、見えない社会の圧力とか、ハッピー空間のあたたかさとかに涙する大事な人たちをみて私も本当に泣きそうになった。明日からも当たり前に続けばいいのにな、おかしいなと思った。でも、この日の無敵ハッピーな代々木公園があるから、また1年生きようって思える人がいるのならきっとそれだけでも意味がある空間なんだろうな。
セクシュアリティに関して今日のところ私は「分からない」で落ち着くことにした。なんで「分からない」と思い始めたかについてはいつか話せたらいいよなあ。
今の私は、大好きな人たちと社会についておしゃべりしたり、アカデミックな場所で誰かの行動の意味づけをするために学ぶ時間がとても好きだなと感じていて、毎日に満足している。
分からない ことが分かっていてもコミュニケーションをとったり、パートナーを探したり、あなたと同じ色がみたいと思ったりする人間の煩わしさと愛おしさを私もしっかり抱きしめて、また今日から社会と戦っていきたいと思うよ。
特別な代々木公園での非日常が、どうか少しでも早く日常になりますように。
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