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期待

milkcoffe です。

突然ですが、「期待」ってなぜしてしまうのでしょうか。

期待をして良かったと思う時もたまにはありますが、なぜか期待しなければ良かったと思うときの方が鮮明に覚えているのでしょうか。

期待には少なからず「自分の理想が入ってしまっているから」なのかなと思います。

期待していたのに思い通りの結果にならなかった。

期待していたのに裏切られた。

裏を返せば

「自分の思い描いていた理想、結果にならなかった」

ということなんだと最近思いました。

自分の理想を追い求めることは決して悪いことではなく、むしろかっこいいと私は思います。

ただそれを勝手に他人に押し付けるのは少し違うと思います。

「私の理想はこれだから、あなたも私の思うように動いて」

というのはこちら側の押し付けであり、期待ではない気がします。

そんなことを思い始めてから私は期待するのをやめました。

それでも時々してしまうのですが、なるべくしないようになりました。

期待して望んだような結果にならなかった時、どこか裏切られた気持ちになるなら期待しないでおいた方がマシだと思ってしまうのです。

私は過去に何度かそういう経験をしてきて、期待が大きければ大きいほどそうならなかった時のショックは大きいと感じました。

その代わり、「想像」をすることにしました。

「こうなったらいいな」と心の中でいい方向に想像して終わりにする。

期待は込めない。


じゃあ「期待」と「想像」

何が違うのか。


期待

想像

意味的にはこんな違いがあるそうです。

「望みをかけて待ち受ける」のか「実際には経験していない事柄などを推し量る」のか。

ものすごく簡単に言ってしまえば「受け身」なのか「働き掛ける」のかの違いなんだなと思いました。

私の勝手な解釈なので絶対この通り!とは言いません。あくまで私なりの意見です。

人生ってきっと思っているより早く過ぎていくような気がするんです。

私はこの限られた時間を使うなら、自分の力で変えられるものに時間をかけたいです。

私はこの長いようで短い人生の中で自分の力だけじゃどうしよう出来ないことに時間はあまり使いたくないのです。

自分の人生なのだから一番時間を使うべき事は他人ではなく自分だと思います。

他人に期待したりするの後で、でいいのです。

自分の思い通りの結果になるにはどうしたらいいのか考えて行動する。

裏切られるのが嫌なら自分を裏切らないようにすればいい。

そうやって生きていけたらいいなと思います。

私もまだまだですが、目の前にあることを1つずつやっていって未来で待っている自分を裏切らないようにしたいです。


最後まで読んでくださり、ありがとうございました!





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