もう後悔しないようにしたい
むかし、30歳以上年の離れたおじさまとの恋が終わった後、未練とかではなく、どうしても彼にメールがしたくなって悩んだことがあった。
しかも2度も。
1度目はおじさまが大病に罹ったことを知った時。
2度目はおじさまが主義信条に基づいて行動を起こした時だ。
1度目の時。
風の噂で聞いたおじさまの大病は、だいぶ深刻なものだということが想像された。
おじさまがこの世からいなくなってしまうかもしれないということに動悸がした。
私はうんと若い頃に、片想いしていたおじさまが突然亡くなるという経験をしたが、『遠からず亡くなるかもしれない』という予告はまた別の悲しさで私の胸を乱した。
どうかその予告を覆してほしいと思ったし、おじさまが存在し続けてくれることを心から願った。
そのことを伝えたくなったのだ。
でも、できなかった。
2度目の時。
それは、病気が判明してしばらくしたのち、おじさまが『戦争を可能にする道すじを作ることは断じて許さない』という趣旨のことを表明したと知った時だった。
そのおじさまという人は、内面的には暗くて複雑なものを抱えている人だったが、外面はやわらかく見える人だった。
だからおじさまのしたことは、普段のスタイルからは考えられないようなことだった。
おじさまの界隈に強い印象を与えただろうし、反発する人もいただろう。
しかし、これだけは言わずに死ねないと思ったのだろう。
死んでも死にきれないと思ったのだろう。
周囲の人に喧嘩を売っているように受け取られてもかまわないと思っているのがよくわかった。
全力で戦争を止めたいと思っている人ができる、勇敢な行動だった。
そして私はその意見にまったく同感だったので、強く胸を打たれた。
とても頼もしく思った。
私の知っていたやわらかなおじさまじゃないみたいだったから余計に。
だから、その行動に心からの声援を送りたいと思った。
私の声援など大した力にもなりはしないのだが、強く賛同しますと一言伝えたかった。
でも、できなかった。
2度とも、メールを打っている途中で勇気がくじけたのだ。
私はおじさまに嫌われたとは思っていなかったが、もう過去の人間になっていると思ったし、メールなんてきっと困るんじゃないかと思った。
また私自身、返信が欲しいわけではなかったが、もし実際に返信が来なかったら落ち込みそうな気もした。
結局メールを送れないでいるうち、おじさまは亡くなってしまった。
実はおじさまとお別れした後、偶然街中でおじさまを見かけたことが2度あった。
その時も私は怖気付いて声をかけられなかった。
そのことをずっとずっと後悔していたのに、最後の最後にまた同じことをやってしまったのだ。
メールすればよかった。
本当にメールすればよかったと思った。
あとほんの少し勇気を出せばできたはずだった。
言ったらどうなるとかじゃなくて、伝えたいことはやっぱり伝えるべきだったと思った。
私はくよくよ悩むタイプの人間だから、そのおじさまのこと以外にも普段の生活において『あの時ちゃんと伝えればよかった』と思うことがよくある。
誰かへの賛辞とか励ましとか感謝とか。
言わなくても済むことを敢えて言う時って、なんとなく照れたり、臆したり、躊躇してしまうものだ。
でも言わないと、きっとまた後悔する。
後悔の多い人生だけど、この類の後悔はもうしたくない。
自分に言い聞かせるため、ここに書いておくことにした。
思い出すたび後悔でおしつぶされそう
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