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叔母の恋愛観にものすごく共感した話
仲の良かった父方の叔母が亡くなってから4年経った。
叔母は外見も若かったが感覚も若くて「あれ?この人同世代だっけ?」と錯覚するぐらい女友達みたいなところがあった。
叔母と叔父の間には子供が無く、そのせいもあったのか二人はいつも仲が良くて、いつまでも恋人同士のような雰囲気だった。
二人でよくふざけてハグしたり投げキスをしあったりしていた。
叔父は笑いを取るのがまあ得意な人で、座持ちがいいというのか、法事などで人がたくさん集まった時はいつも中心になって、並いるおばあさま&おばさま方を爆笑させまくっていた。
その叔父は6年前に病で亡くなったのだが、叔母はそれはそれは悲しんだし、周りもみんな二人の仲の良さを知っていたので、とても心配して慰めたものだった。
でも、一通り嘆いたあと叔母は、
「これで思い残すことは無くなった。早く私もあっちに行って彼に会いたい」
と言っていた。
それから2年経って、叔母は叔父と同じ病気になった。
叔母は自分で手配して叔父と同じ病院に入院した。
その病院は私のマンションから歩いて行ける場所だったので、私はよく一人でお見舞いに行った。
叔母は病気の判明と同時に余命まで示されてしまったのだが、初めて私が訪ねた時は私の顔を見るなり「きゃー!!」とか言って、
「花ちゃんじゃないの〜!いらっしゃい!入って入って!」
と、はしゃいだように中に招くので(家か!)とツッコみそうになるぐらいだった。
病室は広々としていて明るかったが、叔母も同じぐらい明るく、
「本当は彼の時と同じ部屋に入りたかったんだけど空いてなかったのよ〜」
などと恋するミーハー乙女のようなことを言いながら、ポットで暖かい紅茶を淹れてくれたり頂き物のお菓子を出してくれたりした。
「でも看護師さんは知ってる人がまだ何人かいてね。交代の時間になると帰る前に寄ってくれて、一緒に彼の思い出話をしたりしてるのよ」
叔母の余命がわかっているということもあるのだろうが、勤務時間を終えてお疲れであろう看護師さんが、そんな親切をしてくれてありがたいなと思った。
でも実際に叔父は、きっと医師のことも看護師さんのこともさぞかし笑わせてたんだろうなとも思った。
「Tさん(叔父の下の名前)は面白い患者だったでしょうからね」
「そうよ。最後まで喋れてたから冗談ばっかり言って」
「‥でもHさん(叔母の下の名前)まで同じ病気になっちゃうなんて‥‥」
私はちょっと真面目な気持ちで切り出した。
ところが叔母は明るいまま、
「これ大きな声じゃ言えないんだけどね、私ドクターから病名と余命を言われた時『よっしゃーーー!!』って思ったのよ」
「‥‥‥え?」
「私、彼が死んでから、早く彼のとこに行きたい行きたいって言ってたけど、かといって自分で命をアレするのもアレだし‥‥ってずっと思ってたの。そしたら病気だって言われて、やだ、これで自然に彼のところに行けるじゃない!って思って」
ここ、普通はドン引くところだと思う。
きっと気丈に振る舞っているのだろうと察して、
「そんな淋しいこと言わないで」
とか、優しくたしなめるべきところだと思う。
しかし、私の発した言葉は、
「やーーーん!!!わかるーーーー!!」
だった。
「わかるよ!!私も将来同じ状況になったら絶対そう思うと思う!!!」
叔母の反応もさらに奮っていた。
「いたーーー!!!ここに同じ人が!!」
もう私の手を取らんばかりになって、
「これ友達に言っても誰に言ってもわかってもらえなくって‥花ちゃんだけよ、わかってくれたの!!嬉しい〜〜〜!!」
と言った。そして、
「ちょっと花ちゃん、これパパには言っちゃダメよ。怒られちゃう」
「うん、言わない言わない。っつーか言えない」
うちの父は極めて普通の人間なのだ。
異論も違和感も当然あると思う。
普通は眉を顰めるような話だと思う。
不謹慎の謗りを免れないと思う。
でも、叔母も私も本心からそう思っていたのだ。
私たちの間ではそれで良かったのだ。
こんなこともあり、叔母とはそれまで以上に打ち解けた。
その後も私が病室を訪ねるたびに、叔父のノロケ話と爆笑思い出話をおもしろおかしく話してくれて、二人で大笑いした。
夏の暑い盛りに叔母に頼まれて、病室まで出張して髪の毛をカットしてくれる美容師さんを私が手配したことがあった。
さっぱりとショートカットにした叔母は満足そうに鏡を見て、代金を支払う時に、
「帰りに何か冷たいものでも飲んでください」
と言って、来てくれた若い女の美容師さんに数千円多めに渡していた。
美容師さんが帰ったあと、私が
「チップの渡し方がスマートでカッコ良かった」
と言ったら、
「これも彼の真似よ」
と嬉しそうな顔で笑っていた。
叔母は「元気なうちに形見分け」と言って、私が自分では買えないような値段の指輪やネックレスや、ハイブランドのバッグなどを家から取り寄せて私にくれた。
「着物はどうしようかしら。花ちゃん着物着る人だもんね。でもあなたの方がずいぶん背が高いからサイズがね」
「絶っっ対欲しい!!裄丈は自分で直しに出すから絶対ちょうだい!!」
「そんなに欲しがられると嬉しいわね。じゃあ着物は自分で取りに行って好きなの持って帰りなさい」
と叔母は笑って、
「彼が最初に拵えてくれた着物と、今はめてる婚約指輪と結婚指輪だけは棺に入れてもらうように、もうパパに伝えてあるから」
と懐かしむように左手の指輪を見ながら言った。
◇
こんな風に私は叔母と最後の数ヶ月を過ごした。
話している時に、(ああ、もうすぐこの人はいなくなっちゃうのだな)と思って急に淋しくなる瞬間はあったが、すぐに(いや、叔父のところに行くだけだから)と思い直した。
今でもときどき断片的に叔母との会話を思い出すが、そのほとんどに叔父のノロケがかまされていた。
大体が笑いをともなった話だったから、思い出し笑いをしそうになる。
そして、ちょっとだけ目の奥が熱くなる。
私はだめな恋愛ばっかりしているけど、叔母夫婦を思い出すと暖かい気持ちになる。
きっと今もあっちの世界でさぞかし仲良くやってることだろう。