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こんなに好きでも (前編)

彼のことが本当に好きだった。
それまでセックスが苦痛でならなかった私が、
「この人にどうしても抱いてほしい」と初めて思った人だった。
彼は60歳だった。
私は23歳だった。


彼は、私が仕事中によく行くカフェに来ていた人だった。
ほとんど一目惚れと言ってもよく、その後も彼を見るたびに「格好いい‥‥!」と思ったし、その後たまに会話が耳に入って来ることで知った彼の知性も感性もユーモアも、何もかもが素敵だった。
その界隈はスーツの人が圧倒的に多いのだが、彼はいつもラフな格好をして悠然としていた。


彼はそのカフェに一人で来ることも多いが、仕事関係なのか単なる友人なのか複数人で来ることもあった。
本人は一見冷たそうで殆ど笑わないのだが、その彼が言うことで周りはよく笑っていた。その会話がたまたま聞こえた私も(本当は耳を澄まして聞いているのだが)思わず笑いそうになることがあった。
横を通る時に彼の読んでいる本を横目でチラ見してみると、そのジャンルが多岐に渡りすぎていて何の仕事をしている人なのか全くわからないほどだったが、一度「屋根裏の散歩者」を読んでいたことがあって、その時は、私も江戸川乱歩大好きなんです!と言いたくなった。


彼のことを好きになってから、周りの友達にも彼を見てもらいたいと思ったが、もし彼女らも彼のことを好きになっちゃったらライバルが増えて困るから、見せるのはやめておこうかと思ったぐらいだった。
しかし実際に見せたところ、
「ただのおじさんにしか見えない」
「おじさんというよりおじいさん」 
「たとえあの人が若くても素敵かどうかは疑問」
「眼鏡を掛けている人自体が無理」
最後の眼鏡への指摘は単なるあなたの趣味でしょうがと思ったが、とにかく友人達には彼の素敵さは全く理解されなかった。
ライバルにならないで良かったと思った。


彼と直接話したことは一度も無かったが、好きだとはっきり自覚してから、想いは日に日に募る一方だった。
彼の左手には指輪が無かった。
これは勇気を出して想いを打ち明けるしかないな、と思った。


当時まだ傷つくことをあまり知らなかった私は、「まずは挨拶をする仲になる」とか「まずはちょっとお話をしてみる」などの迂遠な方法を避け、いきなり告白することにした。
今考えると相当どうかしていると思うのだが、たぶん相手がすごく年上であるということから、たとえ断られるにしてもそんなにひどく冷たい対応はされないだろう、と考えたのだと思う。


ある日、会社の帰りにふとそのカフェを見たら、中に彼が一人でいるのが見えた。
夜に彼がそこにいるのを見たのは初めてだった。
明るい時間に告白をするというのも恥ずかしい気がして、できれば夜がいいなと思っていたので、これはもう今しかないと思った。
そこで私は、彼がカフェから出て来るのを待って話しかけることにした。
(ストーカーっぽいことをお許しください)


冬だったので周りはすっかり暗くなっていたが、もともと賑やかなところなので人通りはとても多い。
ここで告白するって結構勇気がいるなとは思ったが、なかなか夜に会えるチャンスは無さそうなので仕方がない。
待ち始めてから割とすぐに彼がカフェから出てきた。
こんなに早く出てくるとは思わなかったので心の準備が追いついていなかったが、思い切って彼を呼び止めた。


「あの‥‥!」
私が声をかけるとすぐに彼は立ち止まって振り返ったが、私の顔を見てちょっと不思議そうな顔をした。
「はい」
「あ‥‥あの、私、出ていらっしゃるのを待ってたんです」
「誰を?」
彼の名前も知らないので、上に向けた手のひらで彼をさして(あなたをです)という仕草をした。彼はますます不思議そうにして、
「あなた誰だっけ?会ったことある気がするけど」
と聞いてきた。
「はい、えっと‥‥このカフェでよくお見かけしてただけなんですけど‥‥」
「ああ、そうか。どうりで。‥‥おれを待ってたってなんで?」
「えっと、あの‥‥ちょっとお話したいことがあって‥‥」
「そうなの?‥じゃあお茶でも飲もうか」
私は心から嬉しかった。今この場で告白しようかとドキドキしていたのに、一緒にお茶を飲んでくれるだなんて。
しかも初めて喋ったのに、めちゃめちゃ喋りやすい人だった。
緊張が一気に解ける気がした。
「ここは今出てきたばっかりだからあっちに行こう」
と言って、道の反対側のカフェに行くことになった。


彼があまりにも喋りやすい雰囲気なので、私はとてもリラックスして、まず自分の名前を名乗り、あそこに見えるビルで働いている旨を伝えた。
そこで同時に、彼の名前がKさんであり、ここから数分のところに仕事場があるということを初めて知った。
「Kさんって‥‥奥さまはいらっしゃるんですか?」
と私はけっこう単刀直入に聞いた。
彼は一瞬驚いたような顔で私の目を見て、
「いるよ。子供もいるよ。‥‥なんで?」
なんで?とは言ったが、なぜ私がそれを聞いたか彼はもう察した様子だった。
ああそういう話なのか、とわかったようだった。
だから私も話を続けやすかった。
「私、何ヶ月か前にKさんのことをお見かけしてから‥‥ずっと素敵だなと思ってたんです」
「‥‥‥‥」
「だから、あの」
「待ってよ、あなたいくつ?」
「23です」
「おれ60だよ。いくつ離れてると思ってんの」
「‥‥離れてたらだめですか?」
「いや、だめじゃないけど‥‥おれ全然素敵じゃないよ」
「そんなこと」
「さっき子供もいるって言ったけど、それだって何人いるかもわかんないのよ。『あれ多分おれの子だろうな』っていうのもいるもんな」
「‥‥‥‥」
「あなたそんなこと言う前に、もっとおれのことよく調べた方がいいよ」


私は、それまでセックスというものが苦痛でならず、大学時代に付き合っていた彼にも最初の内こそがんばって応じていたが、途中から拒むようになっていった。
できればこの先一生したくないと思っていた。
結局それが原因となり彼とは喧嘩別れをしてしまった。
(今は悪かったなと反省している)


ところが、私はKさんを見て初めて、この人にだったら抱いてほしいと思うようになった。むしろ切望するようになってしまったのだ。
私は、セックス自体は苦痛でも一人ですることは普通に好きだった。
そういう時、それまでは単に自分好みの動画や小説を見たりしていたのだが、彼を好きになって初めて、現実の人に抱いてもらう所を想像して、するようになった。
だから、彼に告白するということは当然セックスを前提にしていた。
何ならお付き合いはできなくてもセックスだけの仲でもいいから‥‥とまで思ってしまっていた。


だから、
「子供が何人いるかわからない」
だなんて、普通こんな話を聞いたら誰でもドン引くと思うのだが、私はそれを聞いて逆にちょっと望みが出てきたと思ってしまった。奥さんがいると聞いた時点で、
(ああ、そうなのか‥じゃあ断られちゃうかも‥‥)
と内心ショックを受けていたのだが、子供の話を聞いたことで、
(周りに女の人がいっぱいいるタイプの人なんだ。だったら私のこともその中に混ぜて欲しい‥‥!)
と思ってしまったのだ。
だからその自分の希望をそのまま彼に伝えた。
すると彼は眉根を寄せて(ちょうどこの頁のトップ画像の男の人みたいな顔だ)、
「あなた、もっと自分のこと大事にしなさいよ」
と窘めるように言った。




‥‥‥‥突然すみません、この話もっと短く凝縮して書く予定だったのですが、書いている内にめちゃめちゃ当時を思い出してしまって、まだまだ書きたくなってしまったので2回に分けさせてください。後編に続きます。


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