「何かを精一杯愛した経験を増やそう!」
一期一会(いちごいちえ)
お茶の席では、亭主となり客となって応対する時、一生でたった1回の出会いであるかのように応対するという。
かの千利休は、
「たった1回しかない出会い」
として、どんな客人であれ究極のもてなしを
したというのは有名だ。
(お茶の世界でいう、もてなし、が、どんなことなのか、具体的には体験、習得しないと、とても測りきれないが)
つまり、いろんな社会的鎧を脱いで、まっすぐ
(まっしろ)な心になった自分同士で向き合う、
ということだと、私は理解する。
「いや、本当によかったよ。だって、小麦畑のあの色があるからね」
王子さまと仲良しになったキツネは、別れの時間が近づき、別れを憂います。
「それじゃ、仲良しになったけど、全然いいことなんかないじゃないか」と王子さま。
「いや、本当によかったよ。だって、小麦畑のあの色があるからね」
王子さまの金髪はまるで小麦色。たとえ王子さまが去っても、金色の小麦畑をみれば王子さまとの友情を思い出せる。
いつまでも心を豊かにしてくれる宝物をもらったのだから、王子さまとの出会いは素晴らしいことなのさ。
「別れても別れない」世界、
「離れても別れない」世界
出会いと別れは、そこで完結しない。
ずっと心の中で関係性は続いていくのだ。
本当に人生は、誰と出会うのか、
で変わってきます
常々わたしも、心に留めている。
「出会わなければ良かった人なんていない」
私のこれまでの人生、いったい何人の
人と出会い、通過してきただろうか。
もちろん、出会って別れて、実在としての
関係性はそこで止まった人もいる。
一度離れてまた出会い、新たな関係性を築いた人もいる。
大事な関係性を、現在進行形で築いてる真っ只中の人もいるし、
自分という人間をこの地球上に存在させてくれた家族、ご先祖様においては、たくさんの出会いが重なりあって、連なって、私がある。
気が遠くなるほどの、無償の愛の下に自分が続いているのだ。。
少しそれるが、松浦弥太郎さんの言葉の中に
大好きな、こんな言葉がある。
一度、自分を取り囲む現在進行形の仲間、
今は直接関わらなくなっていても、自分の人生に何らか影響(エッセンス)を与えてくれた人達、
忘れてはならないご先祖様たち(自分の知る限りでよいと思う)
を、グループ分けにして書き出してみたい。
きっとその全ての人がいなければ、現在の自分はない。
わたしが読み続けてきたこの「星の王子さま、禅を語る」は、最後にもうひとつ伝える。
自分の人生の到達地点や、達成感は、
「この世に何かを成し遂げる」ことだと
思っていた。
自分も、なに者かにならなくてはならず、
生まれたからには、この世に何かを残して
死ななければ意味がない!
人と違った何かを、私はまだ持っていない
そんな風に勝手に思い込んで、自己嫌悪に陥っていた。
自分の人生を愛して一生を終える
何かを精一杯愛した経験を増やそう
まとめ
実はこの「星の王子さま、禅を語る」を一回目に読んだ時、ただぼんやりと、かいつまんだ部分的しか、頭に入ってこなかった。(もちろん付箋の箇所も少ない)
禅の考え方自体ももちろん、肌に入ってこない感じで。
そもそも、失礼ながら「星の王子さま」自体、何度読んでもふわっとしていて、抽象的な内容、掴みどころのない本だな、なんて思っていた。
ただ、不思議なことに、読むタイミングによって、妙にひっかかったり、「そう、そうなんだけど、これを言葉にするとぴったりの解釈があるはずなのに出てこない!」などと、
どこか気にしていて、時々読み返したくなる
不思議な物語。
だからこそ、この、「禅を語る」も読み直してみたくなったのだろう。
読み直し、の利点は、
一回目読んだ時は「各章ずつ」分割して読み進めるが、
二回目読むと、全体像を見渡しながら、
「すべては繋がってるんだ!著者の言いたいこと、禅の考え方はずっと共通している」
と気づく。
そしてこのふんわり、もやっとした読み心地の「星の王子さま」が、心にす〜っと入ってくる感じがした。
物事を表面だけで判断してはいけない、
「心で見ないと、ものは決して正しくは見えないよ。肝心なことは、目には見えないんだから」
自分自身と向き合う目、を常に意識し、
自分の脚下を照らして本来の自分を忘れない
自分の心を充実させて、いつでも
目を輝かせていたい!!
今回読んでいく上で、ずっと私の心の共通点はこれであった。41歳、初夏。
時間が少し立ち止まった、この空白の時期に。
きっとまた、この2冊を私は何度でも読んでいくのだろう。
読むたびに解釈が変わるかもしれない。
それもまた、そこに留まってない自分を自覚し、一瞬一瞬を大切に生きなければ!と気づかされるに違いなく、楽しみでもある。
文献「星の王子さま、禅を語る」重松宗育
ちくま文庫