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夫婦でも元々は別の人、違っていて当たり前と思ったら楽になった

23年前の春、私は付き合っていた彼とお花見をするために、愛知県の鶴舞公園へ出かけた。

お料理があまり得意ではなく、レパートリーも少ない私だったが、朝早くからお弁当づくりに勤しんでいた。彼に喜んでもらいたくて、そして彼に「気の利く彼女」と思われたくて。

桜の木の下にレジャーシートを開き、お弁当を広げると、彼は
「美味しそう!お袋が作る弁当はいつも茶色だったんだ。でもちいのお弁当はカラフルで良いね。ありがとう。」

待ってました!そのお言葉!
歓喜して踊り出したい気持ちを隠し、彼に向かってそっと微笑んだ。

温かな日差しを浴び、二人でニコニコしながらお弁当を食べ終え、芝生のうえで横になっていると、そこに2頭の大きなグレートピレニーズが近づいてきた。

近づいてくる2頭のグレートピレニーズは迫力満点。少し尻込みしている私を横目に、彼は飼い主さんに了解を得てグレートピレニーズに触れた。

白い体毛に覆われたグレートピレニーズの身体を、彼はワシャワシャと撫でた。次第にグレートピレニーズも嬉しくなってきたのか、彼にじゃれついてきた。芝生の上に横になった彼に覆い被さったグレートピレニーズは、夢中になって彼の顔をなめ回していた。

顔をなめ回されている彼もケタケタ笑いながら楽しんでいた。そんな彼と2頭のグレートピレニーズを見て、私はムツゴロウさんとゆかいな仲間たちを重ねていた。むかしよく観ていた大好きなテレビ番組だった。


お互い動物好き、食の好みが同じ、笑うツボも同じ、話が合う、一緒にいて楽しい、ファッションセンスも釣り合いが取れている、そんな相性のいい彼と、その約2年後に結婚をした。

結婚して1年後には名古屋から、彼の故郷である富山へ引っ越した。その後の2年間も二人だけの生活で、お付き合いをしていた頃と変わりない雰囲気で暮らしていた。しかし子どもが生まれるのと同時に夫家族との同居が始まり、しばらくしてからお互い通じ合わないことが多くなってきた。

あんなに相性がいいと思っていた彼との会話は少なくなり、彼が何を考えているのかわからなくなった。私が伝えることに対して怪訝な表情をするようになった。強いて言うなら、私の思い通りの彼ではなくなった。

私と彼の間に深い溝ができ、喧嘩をしても仲直りに至ることはなく、さらに溝が深くなっていくだけ。これ以上、結婚生活を続けていくことはできないと思っていた。


しかし、私は幾度となく、父に「結婚をしたい人がいる」と伝えたときの会話が蘇った。
父「どうしてそんなに遠くへお嫁に行くんだ!」
私「私が結婚を決めた人なの!お父さんに反対されても私は彼について行く!!」
父は、名古屋に出た私が、いつか長野に帰ってくることを願っていた。それと、娘さんを富山に嫁がせた同世代の友人のことを「寂しいだろうに・・・」と言っていたのを聞いたこともあった。

あの時の会話以降、一回も結婚に反対することなく温かく見守ってくれていた父のこと、父の願いを振り切ってまで富山に嫁いだこと、そしてそれは「自分が決めた」ということが頭から離れなかった。


もうひとつ頭から離れなかったことがある。それは「彼と娘を離してしまっていいのだろうか」ということだった。彼と娘は同じ誕生日である。偶然にも一致した誕生日。娘にとってパパとこの先も一緒に暮らしていくことは当たり前のことだった。さらに娘は義父母にとても愛され、娘も義父母のことが大好きだった。それなのに離ればなれにしてしまっていいのだろうか。


悩み、迷う日々を過ごす中、山崎まさよしさんの「セロリ」の歌詞を思い出した。
「育ってきた環境が違うから好き嫌いはイナメナイ」
「もともと何処吹く他人だから価値観はイナメナイ」
「がんばってみるよ やれるだけ」
「がんばってみるよ 少しだけ」

最後の歌詞の
「なんだかんだ言っても つまりは 単純に君のこと好きなのさ」
は、その時の私には受け止められなかったけれど、その前の歌詞が私の中に染み込んできた。

「夫婦でも違っていて当然なんだ」

その頃には結婚生活を続けるか否かは、半々の気持ちになっていて、どっちに転んだとしてもそれで良いと、少し吹っ切れた状態でもあった。

今までは私に向けてくれる彼の言葉や態度だけを受け止めていた。仕事をしているときの彼や、彼が誕生してからずっと続いている親子関係、親になった彼の心境の変化、生活の変化など、私が知らないことや、私とは違う考えや感じ方があるだろう。

私も彼のことを全然見ていなかったことに気付いた。私が伝えたことに対して彼ならこう返してくれるだろうとか、夫ならこうしてくれるのが当たり前だろうなど、私の一方的な思い込みが彼だけでなく、自分をも苦しめていた。

すぐに変われたわけではないけれど、私と彼の違いに気づき、その違いに感心したり驚いたりしながら、今まで見えなかった彼のことが少しずつ見えるようになってきた。自分の考えや想いが一方的になっていないか顧みながら過ごすことで、彼に伝える言葉も変わっていった。

私と彼は全くの別の人で、別の人同志が結婚しともに暮らす中で、喜怒哀楽を共有しながら過ごす日々に、今は幸せを感じている。彼のことを頼りにしているし、足りないところは互いに補い合っていけばいい。

今ではくだらない冗談を言い合ってケタケタ笑っている彼と私を見て、娘は
「パパとママは本当に仲が良いね。」
と言っている。

その言葉を聞くと、過去の辛かった日々の映像が走馬灯のように流れ、
「やれるだけ がんばってみてよかった、少しだけ がんばってみてよかった」と思う。

23年前の春、桜の木の下でグレートピレニーズと戯れ、顔をなめ回されていた彼、今は小さなトイプードルの愛犬三郎に顔をなめ回されて喜んでいる。

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