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成長の中にある嬉しさと寂しさ

むかし私は幼い娘を見て、
「私、女の子を産んだはずだよね?!」
と度々思っていた。じっとしていないかなりパワフルな子だったからだ。

近所のふれあい福祉センター内で絵本の読み聞かせが行われていて、10か月の娘を連れて参加したときのこと。
椅子に座って絵本を読んでくださるスタッフの周りに8組くらいの親子が座り、読み聞かせが始まった。始まるやいなや娘は私の膝から抜け出し、絵本を読むスタッフの元にまっしぐら。娘を引き戻しても体をよじって私の腕から抜け出し、またスタッフの元へ行こうとする。これを何回も繰り返し、挙げ句の果てにはスタッフの膝につかまり立ちをして、顔を上げてスタッフになにか話しかけていた。

周りの親子を見ると、お母さんの膝の中にじっと座っている赤ちゃんばかり。絵本を読んでくださるスタッフもニコニコしながら娘の相手をしてくださるけれど、私は絵本が読み進められないことで迷惑をかけてしまっているのではないかとヒヤヒヤしていた。

スーパーのお買い物では、子ども用の座席付きショッピングカートに娘を乗せても、すぐに立ち上がってじっとしていられない。カートから落ちないか心配で落ち着いて買い物なんてできなかった。

片手で娘を抱き、反対の手でショッピングカートを押しながらの買い物は、買い物をしながら体を鍛えているような感じで当時の私にとって気合いのいる作業だった。


保育園児になると行動範囲が広がる。娘はお店に入るときからソワソワしている。「今日はどんなお菓子をゲットしようかな。(ニヤリ)」そんな雰囲気がにじみ出ている。私は娘の手を握り、なんとかなだめながら食材の買い物を先にする。

いよいよお菓子コーナーへ到着すると私の辛抱の時間が始まる。お菓子を手にした娘を見て「決まったのか!」と思えば、違うお菓子を娘は見始める。時間がどんどん過ぎていき、私が「もう帰ろう」と言うと娘はグズりはじめる。私は夕食の支度が遅れてしまうことが気がかりで焦り出す。

私が怒りながら無理矢理娘の手をひっぱってお菓子コーナーから離れたら、娘が大暴れすることはわかっていたから、自分に「キレるなー」と言いきかせながら娘をなだめていた。

娘が3歳半のとき、「マリと子犬の物語」を観に映画館へ行った。大好きな犬の映画だ。それまでにアニメ映画やレンジャーショーは観に行ったことはあった。周りは小さな子どもがたくさんいて主人公やレンジャーに声援を送るのが当たり前の空間だった。

しかし今回の空間は違う。大好きな犬の映画とはいえ、映画の最中スクリーンに向かって声援を送るなんてもっての外。娘は上映中じっとシートに座っていられるんだろうか、騒ぎ出さないか、周りの方に迷惑をかけないかと心配事でいっぱいだった。

しかし私は映画が始まる前にスイッチを切り替えた。トイレ行きたいと言ったら2人でそっと映画館を抜ければいい。途中で飽きてきたら映画館を出ればいい。最後まで観きれなくてもいい。完全鑑賞はできなくてもいい、今日は娘の日本映画デビューの日だ。


案の定、上映中にトイレに行きたいと言い、私は娘の手を引いて暗い映画館をそっと抜け出した。トイレでも私と娘は小声でしゃべっていた。その時の娘はなんだか小声でしゃべることすら楽しんでいるようだった。

席に戻り映画の続きを見始めた。しばらくして隣に目をやるとスクリーンの光に照らされた娘の姿が見えた。じっと椅子に座りまっすぐな瞳で映画を観ている娘が見えた。その表情がなんとも愛おしい。

「やんちゃ娘もこうやって映画が観られるようになったんだ。少しずつ成長してるんだ。」

私は今でもあの時の娘の姿を思い出す。娘もあの映画のことはよく覚えているという。

高校生になった娘は今ではひとりで映画を観に行きたがる。エヴァンゲリオン、AKIRAが大好きで、ひとりで集中して観たいのだ。先日公開されたシン・エヴァンゲリオン劇場版も自ら復習に復習を重ね、公開初日に心躍らせながら一人で映画館に出かけていった。

娘の成長が喜ばしい。と同時に私の手を離れていく寂しさもある。

けれどもそんな娘に私はこう伝える。
「楽しんできてね。」


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