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親の背を見て子は育つ


先日「間違っていてもいい、下手でもいい」の記事を投稿した。

あの記事を投稿した翌日に自分で読み返したとき、娘と「仕事について」の話をしたときのことをふと思い出した。

私は現在、専業主婦である。昨年末に看護師の仕事を辞め、別の言い方をすれば無職である。今までの職歴は看護師(正社員)→嫁ぎ先の稼業の手伝い→看護師(嘱託職員)→専業主婦→看護師(パート)だった。


看護師になりたいと思ったのは小学生の頃。なりたいと思った理由は、親戚の叔母は看護師をしていて、いつも優しく温かな人柄、私はその叔母のことが大好きで憧れていたから。さらにその叔母の娘と息子(私からみればいとこのお姉ちゃんとお兄ちゃん)も看護師になるために専門学校に行っていた。その二人も優しくて私は大好きだった。

両親はその叔母のことを慕っていたし、いとこのお姉ちゃんやお兄ちゃんのことを可愛がっていて、私が叔母やいとこと同じ看護師になることを両親は喜んでいた。

看護師になった理由はもうひとつある。私は幼いころからカギっ子で、学校から帰宅したときや長期休みのときは一人で過ごすことが多く、いつも寂しかった。風邪を引いて熱を出したときは母が仕事を休んで病院に連れて行ってくれて、いくら自分の体調が悪くても母に甘えられるその時間は私にとってとても幸せな時間だった。

その幸せな時間を味わえるのが病院だった。だから私は病院が大好きだった。(面接官の前では絶対に言えない志望動機です。)

実際に看護師として病院で働くと、緊張感の中スタッフ同士で協力し合い励まし合いながら看護の仕事に励む毎日、患者さんからいただく感謝の言葉、日々の積み重ねで状況判断や対応がスムーズになっていく喜びなどやりがいもあった。

でも4年ほど前から「自分の仕事ってなんだろう」という思いがよぎるようになった。かなり端折らせていただくが、それから紆余曲折あり現在の専業主婦の状態に至る。

夫と娘は「そんなに焦らなくても今はゆっくりして、そのうちにまた仕事をすれば良いんだよ。」と言ってくれるけれど、私は「これを自分の仕事にしたい」の『これ』がはっきりしていないことにひとりで勝手に焦っている。

そんなとき、塾帰りの車の中で娘と仕事について話をした。娘は現在高校1年生で学校の先生からも将来のことについてよく考えるよう言われているのだけれど、娘は将来自分がどんなことを仕事にしていきたいのかまだ決めかねている。

仕事をリタイアしてしまっている今の私には、仕事について前向きな話を娘にしてあげられないという後ろめたさを抱きながらも、今まで仕事をしながら感じてきたことや考えてきたこと、悩んできたこと、そして今私が仕事ということに対して考えていることを赤裸々に話した。

すると娘から驚きの言葉があった。
「ママはこの歳になって、今からでも自分の仕事を見つけていこうと悩み考えながら少しずつでも行動しているのは本当にすごいと思う。私も自分の仕事についてあらためて考えてみようと思う。」

「親の背を見て子は育つ」という言葉をよく聞く。娘は看護師の仕事をしている私のことが好きだと以前から言ってくれていたにも関わらず、私は看護師の仕事を辞め「自分の仕事とはなんだろう」と考えながら日々過ごす情けない背中を見せてしまっている。

そう思っていたところに娘のあの言葉。私にとっての「情けない背中」が、娘の中では「諦めない背中」であった。今の私のそのままでいいんだと思えた。


娘は2つの背中を見ている。夫の背中と私の背中。娘に夫の背中はどんな風に見えているのかな。2つの背中を見て娘なりになにかを感じ取りながら成長していって欲しい。

追記

以前紹介した片山來夢選手についての上田ユキエさんが書いたあの記事には続きがある。

【22歳でオリンピック初出場。この競技では遅咲きの印象だ。その前のオリンピックは18歳だった來夢、その時はどうしていたの?
『いや~、日本代表でもナショナルチームでもなんでもなくて。』
とあっけらかんと言う。
彼はいい意味で、世間の抱くイメージや常識に捉われていないのであろう。
オリンピック選手となった前も後も変わらず、自分がやりたいことに真っ直ぐに挑戦しているのだ。】

來夢くん、あなたのその純粋で真っ直ぐな想いはどこからくるの?私はあなたの自分に対する真っ直ぐさに憧れている。

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