永田カビさんの新連載を読んで、“認知の歪み”というものはこんなにもひとを迷走させるものかと思った。
永田カビさんという漫画家さんをご存じだろうか。
少し前に『さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ』というエッセイ漫画を出され、それが大ヒットし、一時期ネットでかなり有名になった方である。
その後も『一人交換日記』『現実逃避してたらボロボロになった話』などのエッセイコミックを出され、そのたびに賛否を呼ぶ、今一番注目されているエッセイ漫画家といってもさしつかえはないだろう。
わたしは『レズ風俗レポ』を本屋で買った数年前から、ずっと永田カビさんのことを追いかけてきた。
新刊が出ればすぐに買ったし、ネットで連載がはじまったときけば何度もその連載を見に通った。
わたしは芸能人や他の作家のTwitterなどはまったく見ていないが、なぜか永田カビさんのTwitterだけは定期的にのぞきにいってしまう、いわゆるファンである。
そんな永田カビさんの新連載が、3月27日に開始されると聞いて、一か月まえからずっと楽しみにしていた。
そして先日、ついに連載が開始され、すぐにわたしは見に行った。
それがこちらの『迷走戦士・永田カビ』である。
(ネットで無料でぜんぶ見れるので、ぜひ見てください)
永田カビさんらしいタイトルである。
迷走、と自ら自分の漫画に名づけてしまえるのもすごいし(エッセイ漫画で)、たしかに彼女を追っているとその単語がいちばんしっくりくる気もする。
永田カビさんのことを知らない方に軽く説明させていただくと
永田カビさんは機能不全家族による母との共依存、過干渉に苦しみ、うつ病、摂食障害などを抱えて生きており、長いこと『生きずらさ』を感じて生きていた女性だった。
一応商業漫画家として一度デビューしたものの数年鳴かず飛ばずで、どうにもやっていけない感じが頂点に来た頃、ネットで『レズ風俗に行きましたレポ』という漫画を発表したところ、それが非常にバズり、それが書籍化されてその後は主にエッセイ漫画家として活動をしている方である。
永田カビさんの処女作である『レズ風俗に行きましたレポ』は
一見タイトルから見ると「女がレズ風俗に行ったけど、どうだった?」的な普通のレポ漫画のように思われるが
そうではなく、あくまで漫画の主体のテーマは永田カビさんの『生きずらさ』であり、そしてそれを解消するためにはどうしたらいいかということに焦点があてられている。
その一つの試みが、たまたまレズ風俗だったというだけのことである。
永田カビさんのすごいところは、その後数冊の本が出されるのであるが、
一冊目のレズ風俗のときがじつは精神的には一番安定しており、
その後どんどんと精神的にも身体的にもぼろぼろになっていく点である。
一番新しい本である『現実逃避してたらボロボロになった話』は、タイトルで見たらわかってもらえると思うが、
永田カビさんが尋常ではない酒の量を毎日毎晩呑んだ結果、アルコール急性膵炎になって入院する話から始まっており、まさにボロボロになった結果からはじまっている。
一冊目の『レズ風俗』の終わりは「レズ風俗に行った結果、親からの自立を精神的にできた」ということで、「これからは親不幸してでも私は自由に生きていく!!」という勇ましい姿で終わっているので
どうしてこうなった……?という気持ちも正直あるが、これこそがリアルな人間の姿、機能不全家族に生きた人間の“認知の歪み”の強さ、と思えば、これほど勉強になる本はないと思う。
そして永田カビさんのいちばんすごいところは、そのボロボロになっていく自分の様を、一切誤魔化すことなく、すべてリアルに描いている点である。
内容としてはけっこうなエグさはあるのだが(さらっと自殺未遂した話が一コマで描いてあったり)、永田カビさんの可愛い絵のタッチと軽快な表現によるポップさで、まるで芸術作品のようにきれいにまとめられているのがすごいと思う。
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さて、まちにまった新連載の感想を述べさせていただきたいと思う。
「今度の連載はどんな切り口ではじまるのだろうか」と非常にわくわくとして見始めたわたしの期待を上回る、パンチの効いた『一人結婚式』というタイトルからはじまる話の流れはこうである。
どうやら数年前に、友達の結婚式に行き、そこで非常に感動した永田カビさんが「わたしも結婚式がしたい」と思ったのだという。
そこまではいいのであるが、「もう一人でもいいから結婚したい」と思った永田カビさんは、すぐさま一人でウエディングドレスを来て撮影ができる場所を探し、そして実際に一人でウエディングドレスを着て、きちんとした撮影所で写真を撮ったのだという。
この時点で正直「……???」とわたしの頭に盛大な疑問符が浮かんでいた。
『わたしも結婚したい!』→「よし、じゃあまず彼氏をつくることから始めるために、出会いのある場所に行こう。自分磨きをしよう」ではなく
『わたしも結婚したい!』→「よし、一人でもウエディングドレス着れるとこ探そう」という発想は、わたしにはなさすぎたからである。
まあ、でも、コスプレを好きなひともいるし、そんな感じで、とにかくウエディングドレスを着てみたいのかな……?
ならいいのか……と、自分を納得させつつ先を読んでいったのであるが
結果からいうと、ばっちりとウエディングドレスを着て、化粧もして、ウィッグに可愛いお花もつけて、カメラマンに撮影をされている永田カビさんが『幸せ』を感じられたかと言うと、そうではなく、
むしろ写真を撮られているときから、「どんどん悲しくなっていった」のだという。
そして永田カビさんは帰り道できづく。
「私が本当に憧れたのはドレスじゃなく、式のあの幸せな空気だったのだ」
と。
いやまあ……そりゃそうだよね……、と正直思ってしまった。
どうやら永田カビさんは漠然と、結婚式で得られるような『幸せ』を、ウエディングドレスを着たら自分にも感じられる、と思っていたらしいのである。
しかしもちろんそうではない。
結婚式がなぜ『幸せ』なのかというと、そこには将来をともにするパートナーがいて、そしてそれを祝ってくれる誰かがいる、という前提があり、それを自分が得られている――つまり自分に魅力があるという事実が自己肯定感をこれ以上なくあげてくれているのであり
ウエディングドレスがその役割を担っているわけではないのである。
永田カビさんがいわゆるコスプレ的に、ただ「ウェディングドレスを着て、綺麗になった自分を楽しみたい」というだけの目的でウエディングドレスでの撮影を行ったのであれば、きっと永田カビさんも楽しめたことと思う。
しかしそうではなかった。あくまで永田カビさんはパートナーがいて、それを祝ってくれる誰かがいる、というちゃんとした結婚式で得られる『幸せ』が欲しかったのである。
先にも書いたが、
それならば「わたしも結婚がしたい」→「出会いの場所に行こう、自分磨きをしよう」という努力の方だったいうことだ。
しかしそれを一発でわからない、ここまでやってようやくわかるあたりが、『自分の本当の気持ちがわかっていない』――いわゆる“認知の歪み”の強さを感じさせられる。
『自分の本当の気持ちが分からない』とどうなるか。簡単いうと、「努力するベクトル」を間違ってしまう。
『努力するベクトル』を間違えるとどうなるか。――そうなると人間は、いつまで経っても幸せになれないのである。
たとえば今回も、はじめから「結婚したい→じゃあ彼氏をつくるために努力しよう」という方向に行っていれば、
たとえそこでまた失敗しても、ちゃんと挑戦をしたという自己肯定感も育つし、成長もする。
しかしそもそもの『努力するベクトル』を間違っていた場合、そこでどんんなに何を成し遂げようと、ただそこに残るのは虚しさだけである。
「自分の本当の気持ちがわかっていない」、「努力するベクトルが間違っている」――つまり『迷走』している、ということだ。
まだこの新連載は一話であるが、今後も永田カビさんはマッチングアプリに登録してやめたりと、いろいろと『迷走』をしていく様を描いてくれるだという。
どんな人間も迷走する、しかしその他人の迷走のさまはなかなか見られない。
それをこんなにクオリティと画力の高さで描いてくださるというのは、有難いというしかない。
これからも永田カビさんを追いかけていこうと思う。