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東欧周遊の目的

私は2019年の7月に1ヶ月かけて、トルコ〜イタリアまで陸路で旅をした。

トルコ→セルビア→ハンガリー→クロアチア→ボスニア・ヘルツェゴビナ→クロアチア→スロベニア→イタリアといった経路を通った。


今日は、私がなぜ旅行先としてはマイナーな「東欧」を周遊したかについて書こうと思う。

東欧とは

そもそも東欧の国がどこなのか思い浮かぶだろうか。

広義的に東欧とは、スロバキア・スロベニア・チェコ・ハンガリー・ポーランドを指す。

下に地図で指すとピンク色の地域である。

東ヨーロッパ

(つまり厳密に言うと、私は東欧と南欧(黄緑)の一部を周遊したことになる)

旅行先としてあまり上位には浮かばない国が多い。

やはり多くの方は西欧諸国に行くことが多いのではないだろうか。

それでも私が行きたかった理由は東欧の歴史に関係する。

東欧の歴史

このあたりはヨーロッパの近・現代史において3つの大きな出来事があった。

1つめは第二次世界大戦中にナチスの侵攻・占領を受けた地域であること。

2つ目は冷戦から東欧革命時代にかけての東西分裂の影響を受けたこと。

そして、3つ目はユーゴスラビア紛争である。

歴史が苦手な人にとっては耳が痛くなる話かもしれない。

日本史好きな自分も、このあたりの歴史の重要性の理解は曖昧だった。

だからこそ、現地へ赴き旅行をしながら学びたかったのだ。


実際に行ってみて

私は観光地巡りの傍らで、歴史資料館や博物館に訪れ現地の人の声に耳を傾けた。

1ヶ月という短い時間では合ったが、記憶に残る濃密な旅となった。


ハンガリーは第二次世界大戦中、ドイツ側に付きナチスによる占領をうけた。

敗戦後、すぐにソ連からの支配を受け社会主義国となった。

その後も反ソ運動を繰り返したが制圧され、1989年ハンガリーの民主化までソ連の支配下にあったのだ。

そのハンガリーの民主化が、ベルリンの壁崩壊の契機となった。

わずか50年間だが、激動の時代に巻き込まれていた国の1つだろう。


そして、私が訪れたスロベニア、クロアチアは1991年に、ボスニア・ヘルツェゴビナが1992年にユーゴスラビアから独立した。

『七つの国境、六つの共和国、五つの民族、四つの言語、三つの宗教、二つの文字、一つの国家』と形容したユーゴスラビアは、欧州において第二次世界大戦以降最悪の紛争を巻き起こした。

民族浄化やジェノサイドが行われ、悲惨な歴史の果てに現在は7つの国に分かれている。

紛争から20年あまり経った今でも、人々の記憶には深く焼き付いている。

街の一部には弾痕や歪んだ建造物などが残され、私達のような旅行者でもその激しさを目の当たりにする。


歴史を学んだ上で、その国の残された文化や人々の暮らしをみるとどこか尊く見える。

現地で何を学び、何を感じたのか。それを何回かに区切って綴りたい。

そして、それに添えて「ポップな旅行記」も呼んで頂けると嬉しい。

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