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「教育」というものをナメてはいけない

 教員、その処遇の改善。
 半世紀ぶりの、給与の引き上げ。
 文部科学省と財務省、それぞれの方針。


 一つ、思うことがある。

 「 #教師のバトン

 ……このハッシュタグをSNSで流行らせることで、教職の魅力が若い世代に伝わるように。
 なんて取組をやっていたタイミングで、既に、今の処遇改善の議論が充分に活発になっていたなら。

 「手遅れ感」が蔓延する、ここまでの事態には至っていなかったのではなかろうか?
 行政の動きが後手に回り過ぎてしまってはいなかったか?

 であれば、その根本において。
 「教育」というものを、そして大変な仕事であると知りながらも教育に携わろうという想いを抱いていた人々を……その人らの前に存在したであろう「子」を・「未来」を、少なからずナメてしまっていたのでは……?

 過去に、少人数学級を実現しようとした文科省に対して、財務省が立ちはだかったということがあった。行政の側が、教育に対してコストをかけようとする発想が全く無かったわけではないというのも、もちろん知っている。
 だからこそ、残念だと感じてしまう。

 今からでも、なんとかなるものだろうか。なんとか……なってほしいけれども。希望的観測が描きにくい現状である。

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