一日一生の実践
一年は365回の人生。日々生まれ変わる。輪廻転生の予行演習だ。
数日前から、ようやく「一日一生」を実践できるようになった気がしている。夜になると「あぁ、これでようやく人生の苦役から逃れられる」という解放感を味わう。その何とも言えない心地よさ。こんなにも重荷を背負って生きていたのかと、我ながら驚く。寝床に入り、布団をかぶる。そして「魂の源」へ帰ることを確認する。もう明日はないのだ。今日、この人生は終わるのだ。なんという至福。もっと早く気付けば良かった。
実践にはもう一つ、大事なポイントがある。今ここに集中することだ。過去も未来もなく、文字通りの今ここにとどまる。刹那の連続する今ここに身も心も投げ出す。午前中、気に入らないことがあったとしても、午後の私とは違う人。そんなこともあったなと記憶の中には留まっているので、経験として振り返りはする。
同様に、未来についても必要以上に不安を持たない。もちろん人並みに計画や予定は立てる。けれどそれは、その瞬間の私が空想した事象に過ぎない。それがその通りになる確証はないし、予期せぬことが起こるやも知れぬ。だから、現実と計画を分離して、受けとめる。
朝、目が覚める。おぎゃーと生まれた感じ。でも、どうやら既に大人のようなので、自分で身の周りのことはやる。ルーチンワークのトレーニングもやる。掃除も炊事も洗濯もやる。読みかけと思われる本も、続きから読む。それでも、昨日の私とは別の私として生きている。その日のその時の、その場所の私として。
一方通行の時間感覚は、物質としての身体を携えて生きているからだと思われる。サイバーな空間で生きることになれば、時間感覚も超越するだろう。アカシックレコードのただ中に、漂うように生きる。もはや生きるとか死ぬとか生まれるとかではなく、存在することが認識できるようになるだろう。
脳内の神経細胞が軸索を伸ばし、別の神経細胞に接近して、シナプスでやり取りする。サイバーな空間も同じ。全てはフラクタルだとすれば、宇宙の有り様を知る手がかりは、そこここに仕組まれているはず。だから謎解きが流行るのだ。
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