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だいすきなおじいちゃんが天国へ行った。


画像は絵が苦手なわたしが一生懸命描いたおじいちゃんのイラストです。
かわいい。

2025年1月21日(火)15時30分頃

おじいちゃんが天国へと旅立っていきました。

死因は老衰になってました。


今日の出来事を忘れたくなくて、

ここに書き記します。


スピリチュアルな、不思議な出来事を体験したのでこれもぜんぶ書いていこうと思います。

まずは今日、不思議な夢を見ました。

私は普段全く夢を見ないタイプでして、所謂熟睡タイプです。

夢の内容は、黒くてデカいヒトのようなモノから逃げている、という夢でした。

最初は道路を挟んだ向こう側に黒くてデカいヒトがいて、それは異彩を放っていました。

私は警察の人2人と一緒に黒くてデカいヒトのようなモノから能力を使って逃げていました。

私の能力は他人をちょっと遠くまでテレポーテーションさせられる、というものでした。
だから私はその能力を使って警察官2人と一緒にその黒くてデカいヒトのようなモノから逃げていました。

ですが、その黒くてデカいヒトのようなモノが近づいて最後にはそれに私は捕まってしまいました。

しかし、怖いという感情は全くわかず、私はその黒くてデカいヒトを最後まで食い止めました。ですが黒くてデカいヒトは私に優しくこう言うのです。

「大丈夫、なにもしないから」

たしかにそう言いました。そして私はその黒くてデカいヒトに最後は眠らされてしまいました。
そこで私は目が覚めました。

私には、こういう不思議な夢を見る時が前にもあったのです。それは父親が亡くなる日に見た夢も、こういう不思議な夢を見たんです。

父親の夢とは全く異なる夢でしたが、父親の時と同じく、何かを感じてしまい、私はすぐに母に言いました。

「おじいちゃん、今日亡くなっちゃうかも」

「変な夢見たの。黒いデカいヒトを必死に食い止める夢で、それがまるで死神みたいだった」

起きたのは遅くて、もう12時近く。
すぐにご飯を済ませておじいちゃんのお見舞いにいつもより早い、13時すぎ頃に行きました。

「おじいちゃ…」

行った時、おじいちゃんの呼吸はすでにおかしくて、足も手も真紫に変わっていました。

あ、これ父親のときと同じだ。
まずいかも。

私は泣きながら、おじいちゃんに感謝を全部、全部伝えました。

「おじいちゃん、ありがとう、いつも心配してくれて。私の、後遺症のこと、心配してくれてありがとう、私、治療がんばるよ。だから、大丈夫だから」

「おじいちゃんのそういう優しいところ、ずっとずっとだいすき」

「私、おじいちゃんみたいな人と結婚したいの」

「おじいちゃん、だいすきだよ」

全部、伝えました。

ずっと心配してくれてたおじいちゃん。
私の父親なんかより、ずっと。
父親が亡くなったときも、
私が後遺症で苦しんでるときも、
私がぎっくり腰になってるときも、
心配してくれて家まで疲れるのに来てくれたり。

「なんだ、元気じゃないか」

って、笑ってくれたこと。

昔のこと思い出しちゃって泣いちゃったこと。

私がおじいちゃんが寝てる布団に潜り込んで添い寝〜って言って添い寝したらあつい!って言うところ。

指相撲ずっとしてて、昨日も指相撲してたらやっぱりおじいちゃんが強くて勝てたことないこと。

YouTubeの相撲をスマホで見せたらぱあって興奮して楽しそうに、食い入るようにみてたところ。

地図に詳しくてここってどこー?って聞いたらたくさん、いろんな情報教えてくれるところ。

相撲が好きで私は詳しくないから聞いたら、丁寧に教えてくれたところ。だけど、あの時はおじいちゃん、元気なかったところ。

ごはん大好きで、ごはん楽しみでたくさん食べるところ。私の分だったお麩饅頭勝手に取って2個食べてたところ、動画で残ってるからね。

でも、ご飯最後の方は誤嚥で食べれなくて、のどぐろがテレビでやってたとき、「食べたい?」って聞いたら「今はもう興味ない」ってつらそうに言ってたときあったよね。

私がDVされてるとき、家庭に居るのが限界でここに逃げた時、おじいちゃんが助けに来てくれたこと。

私が父親にずっと小さい頃からDVされてるって話したら泣いてたこと。

ぜんぶぜんぶだいすき。

自分の父親が、おじいちゃんだったらよかったな。って本気でずっと思ってたよ。


それから一旦家に帰ると、すぐに病院から連絡がありました。

「もう、危ない状態なのですぐに来れますか」

「10分で行きます!」

「10分じゃ、間に合わないかもしれません」

え?

連絡ってこんな切羽詰まってくるもんなの?

死に目に遭えないってこと?

は?

いままでちょっとその病院には不信感がありました。

でもそんなこと言ってる場合ではないので、すぐに母親に車を出すように言い、叔母にも連絡をして病院へまた向かいました。

駆け足で部屋へ入る祖母と母親。

私はすぐに部屋へ入れませんでした。

なんか、やだな。

また、こういうの、みるのかあ。

ここに入ったら、もうおじいちゃんの最期なんだ。


そう思いながらドアを開けました。

そのドアから祖母の悲しそうな声が聞こえてて、あ…ってなりながら開けました。

とてもつらかった。

開けると、バイタルがあって、ドラマでよくみるあれがあって、数字が0になったり25になったり157になったりまた85になったりしてる。

私は前に父親が亡くなる時、意識がないときに救急隊の人に「声がけしてください!とにかく声がけしてください!大きな声で!たくさん!」って言われたことがありました。

父親の時は、父親が嫌いなのもあってなにも言わなかったけど、それを思い出して、なんとか叔母が来るまで持ち堪えててほしい!という願いでおじいちゃんに声がけを続けました。

「おじいちゃん!おじいちゃん!」

「おじいちゃん!ありがとう!おじいちゃん、もうちょっとだけ!頑張って!」

こんな切羽詰まっている中、ここに書き記すのも腹立たしいぐらいの出来事がここで起きます。いまもイライラが止まらないほど。

ガラリと看護師がドアを開けてそいつが、

「うるさいので声のボリュームおさえてください」

そう言ってきたんです。

は?

いまそういう状況じゃないんだけど。

なにこいつ。

なんなんこいつ。

人の心ねえの?

めっちゃ腹立っちゃって、めっちゃその看護師睨んで、無視して声がけしてると、叔母がなんとか間に合いました。

そのあとすぐに心拍が0になりました。

みんなを待っていたのかな。

そうして担当の看護師と、医師が来て、死亡確認をしました。

瞳孔と、心臓の音を医師が確認して、

「止まっていますので、死亡が確認いたしました」

一礼をして、その後遺体を綺麗にするのでと言われ談話室で待機しました。

数十分後、おじいちゃんの遺体と一緒に地下の霊安室にいきお焼香をあげました。

お花が飾ってある、ところでした。

線香の煙が苦手な私はそこから離れて待機しました。

おじいちゃんはちゃんと目を閉じていて、
違う浴衣のようなものを着ていて、
綺麗になっていました。

そこで、葬儀屋さんを待ち、おじいちゃんを無事送り届けました。



ありがとう。そしておつかれさま。
長い間、治療がんばったね。
痰切り、痛すぎて口の周り拭こうとすると口をへの字にして頑なに開けなかったね。それぐらい我慢強いおじいちゃんがつらいほどいたいんだなってわかったよ。


明日は火葬日を決めたり、いろいろするんだって。
最近は全然空いてないから1週間待ちなんてザラなんだよ。


おじいちゃんの写真はとっておきの素敵な写真にしたいなあ。


そう思いながら、カラーコピーが無いのでおじいちゃんの写真を見ながら絵を描いている私です。

これを棺桶にいれようかな、と思っております。


あーあ、

いちご狩り、今年も行く予定だったんだけどな。

誕生日も、もうすぐだったんだけどな。

今日の日めくりカレンダー、なんか捨てられなくてとっておいてるよ。


愛してるぞおじじ!!!!!!!!

ひ孫見せられなくてごめん!!!!!!!

でも結婚する予定もないし子供好きじゃないから産まないかな!!!!!!!

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