29歳の独身女は「寂しい」を消化したい。
新卒から七年勤めた会社を辞めた。
会社は社宅があったので、歳の近い独身社員と共に帰ったり駄弁ったり、
飲んだりして過ごしていた。
帰ってもその建物に私の居場所があったが、それももう終わったのである。
就職をきっかけに地方から出てきたので、この街に友人はいない。
会社の同期や後輩、先輩と仲良くなって、長い年月をかけて得た信頼で、
漸くいい関係を築けていたのに、私は会社を辞めた。
それほど会社自体が辛かったのだけど、失うものも、とてもとても多かった。
辞めるにあたって社宅を出る必要があったので、次の職場に近い駅に家を借りた。
新居はとても住民が多いマンションなのに、全員知らない人である。
隣人の顔も分からない。
毎日びくつきながらエレベーターを上り、
騒音を立てないように静かに暮らす日々である。
辞めてから暫くの間は社員の人とも連絡をとっていたが、それも途絶えた。
「またご飯に行こうね」なんて、嘘。もう会うこともないんだろう。
あの人たちは今も毎日顔を合わせて、電話をして、雑談をして、笑っている。
そこにもう私はいないし、私が話題になることもなく、過去の存在にされている。
私の唯一の友人、同期とだけはこれからも繋がっていられるけれど、
それ以外はもう全て失った。
おまけに社内で好きだった同い年の男は結婚をしたそうだ。
私はまだ、次の会社で、次の環境で得るものを知らない。
この選択の先にある人生の収支はまだ決定していない。
それはもしかするとプラスに転じるかもしれないのだけれど、
今の私がマイナスの気持ちなことに変わりはなくて。
それは一言で言うと「寂しい」だった。
言えるだろうか。
いい大人が、コミュニティーに属していないから寂しいと。
知り合いが少なくて、話し相手がいないから寂しいと。
漠然とした今後の人生が不安だから、寂しいと。
努力すればいいのだろうか。
次の会社で一人にならないように、愛想のいい笑顔を貼り付ける努力を。
マンションですれ違うたびに挨拶をして、隣人関係を築く努力を。
習い事など趣味を広げて、友人を作る努力を。
寂しさを忘れるくらい、仕事や目の前のことに打ち込む努力を。
煩悩を捨て、悟りの境地に入ることで寂しさを受け入れる努力を。
「元気になったら頑張るから」
「今は少し休憩だから」
「別にたくさん友達が欲しいわけじゃないから」
「一人の方が気楽だから」
言い訳を並べて努力をしない結果の「寂しい」は、どんな味がするんだろう。
噛みきれないほど固いのだろうか。
飲み込めないほど苦いんだろうか。
「寂しい」を消化したい、私の座るテーブルには、
はみ出すほどの「寂しい」がお皿の上に積まれている。
ナイフもフォークも、新品さながらでそこに置かれている。
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